護摩壇

静岡県藤枝市

瀬戸新屋字天ヶ谷、水上字鳥越、南新屋字曲り山、池廻り、山廻り等七ヶ所に護摩壇があった。直径は三、四間の饅頭型だったというが、ほとんど田畑の開墾で失われてしまった。

昔、一帯を水上村といったが、夏になると大井川が溢れて一面太洋となる土地だった。大切な街道であったので人々は難儀したが、どうする事も出来なかった。これを、諸国行脚の一人の僧侶が、七ヶ所に護摩壇を設け祈願し、水をひかせたのだという。

またの伝もある。この一面の池には毒蛇が住んでいて、里人を困らせていた。そこに宇陀上人が来これを聞いて、池のまわり七ヶ所に壇を築き、不動尊を安置し護摩を焚いて祈願し池の水を干したのだという。

そこでこの毒蛇は悪鬼と化して藤枝の鬼岩寺に飛んでいったそうな。このことから、水干不動と名づけ万福寺を建て奉安したといい、七つの護摩壇は宇陀上人が護摩を焚かれた跡なのだという。

静岡県女子師範学校郷土研究会
『静岡県伝説昔話集』(谷島屋書店・昭和9)より要約

また、毒蛇は悪鬼となって鬼岩寺に飛んだとあるが、鬼岩寺ではその中興開基の静照上人が七つの護摩壇を築き、大蛇を封じたのだといっているそうな。こちらだと年代は絞られてきて、平末長寛年間のことであるという。

さて、この話できわめて興味深い点は、池の周りを七つの「壇」が囲んでいた、という点だ。しかも、蛇の存在を抜いても、水をひかせるのにその七つの壇が必要だった、という話にもなっている。

これと似たところがある信仰形態が甲府周辺にあった。各地区で、七所天神と呼ばれる七つの「土壇」を築いて祀っていたのであった。甲府も湖水伝説・破られた湖水の伝説を持つ土地だ(この七所天神の土壇も今はほぼないが)。

甲府の七所天神の線では、その物語・天津司舞神話に見る九柱の神の一柱が井に入る、というモチーフを持つものの、明確に竜蛇が関係するという面は見えていない。もしかしたら、この藤枝瀬戸宿の伝説にその手がかりがあるのじゃないか、と期待している。