水上池悪龍

原文

水上村万福寺(曹洞富洞院末)にある。本尊水干不動縁起にいう。水上村は昔、一面の大洋地で東南新屋、西烏帽子山、南瀬戸新屋六地蔵を限って、凡そ周程三十六町余あった。池中に毒龍があって毎年往来の人を悩ました。里の人はこれを患うた。時に、宇陀上人という者があって、密宗の秘法を修練してあるく高徳の聖であった。里の人が潜龍の降伏を上人に願った。上人は招きに応じて、「まず水想観に入、験之、朝暮思之想之、念々無措、一夕霊夢の告を獲て、加持三昧の妙力咒祷せしかば、則明王の霊験にや、潜る猛龍徳の為に降せられ、洋々たる池水、法に依て陸と変ず。然してより此かた、民人始て安堵の思をなし此里に居住す。云々」今、瀬戸町の染飯とて、名産とする物も、此龍鱗を形どる遺跡である。(駿國雑志)

(瀬戸の土地柄・中略)

名物、瀬戸の染飯、するがのくに、志太郡、とした染飯の紙袋に押した板木が同所石野甚一方にある。板木、裏面に鱗形三重の冠せありて瀬戸の染飯とし肩書同断に刻してある。(志太郡誌)

小山有言『駿河の伝説』
(安川書店・昭18)より