明王院とおんじょう淵

静岡県焼津市

何百年も昔、小川の法永長者の屋敷近くに泓(ふけ)の川が流れ、おんじょう淵という淵があり、近くに明王院というお寺があった。明王院には立派な和尚さんと小坊主さんがいた。

小坊主さんは利口でよく勉強をしたが、ある日和尚さんが名を呼んでも返事がなく、本堂で勉強しながら居眠りをしている風であった。しかし、居眠りにしては様子が変だと和尚さんが天井を見上げると、驚いたことに大きな蛇が天井から赤い舌を出して、小坊主さんの頭から血を吸っているのだった。

和尚さんが一心にお経を唱えると、大蛇は苦しそうに身をくねらせ、何をしているのか、と和尚さんは問うた。すると大蛇は、自分はおんじょう淵の主で、人間の生き血がこの世で一番うまいと聞いて来たのだ、と答えた。そしてお経で封じようとする和尚さんに、大蛇は助けてくれ、と頼んだ。

そこで和尚さんは、土地に雨が少なくて困るので、田畑を潤してくれるか、と大蛇にいい、大蛇は約束してもう悪い事はしないと誓い、おんじょう淵に帰った。それから日照りにも泓の川は水が涸れることがなかったというが、今は淵も埋められ、昔の面影はない。

焼津市『やいづ昔話』より要約

寺社の池沼が土地の切り札の水となっていることはままあり、多くこのような伝説が語られる。そのような意味では類型的な話ではある。

ここでは、その点はさておいて、大蛇が小坊主さんの血を吸っている、という点を強調しておきたい。大蛇の登場は人に眠気を催させることが多いが、その理由は大蛇の毒息のせいである、とする場合と、知らぬうちに大蛇に血を吸われている、という場合がある。

血を吸うという話のほうが圧倒的に少ないが、その少ない話の一例となるだろう。小坊主さんが寝てしまってもいるが、殊に「赤い長い舌を出して」と表現しているところは重要だ。蛇が血を吸うというのは、その舌の形状に吸われる血の筋を連想したからかもしれない。