穴の原の大蛇退治

静岡県伊東市

将軍家、伊豆の奥の狩倉に着御、而るに伊東崎と号するの山中に大洞有り、其源の遠さを知らず、将軍之を恠しみ、巳剋、和田平太胤長を遣はして之を見せらるるの処、胤長火を挙げて彼の穴に入り、酉刻帰参す、申して云ふ、此穴行程数十里、暗くして日光を見ず、一の大蛇有り、胤長を呑まんと擬するの間、剣を抜きて斬殺し訖んぬと云々、(『吾妻鏡』読み下し)

伊東市史編さん委員会
『伊東の今・昔 伊東市史研究 第5号』
(伊東市教育委員会)より

大室山西側の麓、さくらの里の奥は穴の原と呼ばれたところで、ここに溶岩洞穴がある。そこを舞台に、あの『吾妻鏡』に記された大蛇討伐の話が伝わってきた。正史を目指した史書によくもこんな話を載せたものである(この次の話では仁田忠常が富士の人穴に入っている。鎌倉武士は穴があると入る)。

和田胤長は弓の名手といわれるが、ここでは大蛇を斬り殺している。ともあれ、さすが九尾を討った三浦義明の一族とはいえる。やはり、武士というのは「それを可能とするほど」の異能の者でなければならない、という認識が当時あったのではないか。