将軍家、伊豆の奥の狩倉に着御、而るに伊東崎と号するの山中に大洞有り、其源の遠さを知らず、将軍之を恠しみ、巳剋、和田平太胤長を遣はして之を見せらるるの処、胤長火を挙げて彼の穴に入り、酉刻帰参す、申して云ふ、此穴行程数十里、暗くして日光を見ず、一の大蛇有り、胤長を呑まんと擬するの間、剣を抜きて斬殺し訖んぬと云々、(『吾妻鏡』読み下し)
大室山西側の麓、さくらの里の奥は穴の原と呼ばれたところで、ここに溶岩洞穴がある。そこを舞台に、あの『吾妻鏡』に記された大蛇討伐の話が伝わってきた。正史を目指した史書によくもこんな話を載せたものである(この次の話では仁田忠常が富士の人穴に入っている。鎌倉武士は穴があると入る)。
和田胤長は弓の名手といわれるが、ここでは大蛇を斬り殺している。ともあれ、さすが九尾を討った三浦義明の一族とはいえる。やはり、武士というのは「それを可能とするほど」の異能の者でなければならない、という認識が当時あったのではないか。
ともあれ、歴史上の実在の人物による大蛇退治の伝が一級の史料に見える極めて貴重な事例が伊豆の大室山にあるのだと心得られたい。そして、これは土地の昔話としても語られてきた(「穴の原の大蛇退治と舞台」)。併せ見られたい。