死に池

原文

子供のなかった老夫婦が、子供が授かるように三嶋の明神様に願を掛けました。

その明神様の境内で拾って帰った卵から、やがて蛇が生まれて来ました。二人は神様から授かった我が子として、大切に育てたのです。

しかし、村の人は蛇が大きくなるにつれて、その害を受けることを恐れ、「早く捨てるように」夫婦に頼みました。そこで夫婦は、その訳をよく話して山へ逃がしてやりました。

ある春の日、村の人たちは池の囲りに咲いた桜の下で、お花見をしていました。

その時、長者の娘が足を踏みはずして、池に落ちてしまったので、村人たちは大騒ぎしましたが、誰れも助けることが出来ません。

そこへ、ひょっこり蛇が来て、底に沈んだ娘をくわえて来ましたので、みんなあっと驚きました。

長者はお礼に、蛇には宝物をやり、老夫婦は自分が引き取って、長く養ったということです。

長者の娘の落ちた池は、今も赤王に残っていて、「死に池」と呼ばれています。(赤王・望月正敏氏談)

 

余話 大場にある「かご池」は、昔はちょっとした広さでしたが、現在は耕地整理の結果小さな池となりました。

伝えに依ると、この池は急深かな底なしの池で、魚つりの子供に「落ちないように」里人は注意したものです。

この池に落ちると、死がいが沼津の千本浜に浮くといわれています。(大場・大隅英一氏談)

 

(註)死に池も、かご池も共に底無しの意味を表していて、何か赤王入道と関係があるかのように思えます。しかし、それについては、何も聞いていません。

三島市郷土資料館『三島の昔話』
(三島市教育委員会)より