富士七巻の大蛇

原文

今は昔、伊豆の國三島の町に、一人の按摩がありました。道ばたに小さい小屋を立てて住み、毎日、旅人の肩や足などをもみさすって、貧しい暮しを立てて居ました。

この按摩さんの家へ、夜にさえなると、遊びに来る小僧さんがありました、一月あまりも続けて来ましたので、按摩も恠しく思い、ある晩、

「お前は一体何者なのだ」

と尋ねました。小僧は、首をかしげて、暫く考えて居ましたが、

「私の身の上は、容易に話されないのだが、外の人でもないから話しましょう。私は、幾百年となく此の山に棲み常にこの山を七巻巻いてる大蛇であります。されども、この節は往来が開けまして、日々に、馬だの人だのの往き来がはげしいので、踏まれたり傷つけられたりして居ります。

この山に居るも、窮屈でたまりませんから、近々の中に大海へ出て参りましょう。

その時は、大雨をふらして、この辺一面を泥海にし、それに浮んで出かけます、ですからこの辺のものは、一人も助かること無いでしょう。あなただけは早くどちらへか逃げなさい。この事は、決して他の人に語ってくれてはなりません。若し語れば、あなたは其の場で死にましょう。」

と、固く戒めて其の夜は帰りました。

其のあとで、按摩は考えました。「なんと怖い話しではあるまいか。併し、一疋の蛇の為めに、数百人の命を亡くさせるは気の毒なことで、われの命を取らるるとも、数百人の為めなら惜しくもない、われ独り命を惜んで、黙って逃げることはできない、明日は、是非とも村人に告げ知らせて、彼の蛇狩りを始めよう」と考えをきめ、夜の明けるを待って、村の人々に知らせました。

すると、村人もびっくりして、巻狩を始めることにきめました、各々得物を持って馳せ集り、鐘太鼓を鳴らして狩り立て、鉄の杭で山を取り廻しました、すると、果して、俄かに天地を忽ち黒暗となり、石は飛ぶ砂は舞う、山も崩るるばかりの音して鳴りひびき、正体を現わしました大蛇は、大浪のうねりの様に、身をうごかして苦んでましたが、とうとう其のまま死んで仕まいました。これ大蛇は、黒がねをきらうということを、村人が知ってましたので、鉄杭を打ちこんだのであります。

数百の村人は、何のさわりもありませんでしたが、按摩は可愛そうに死んで仕まいました。で、村人は、其の義侠に感じ、按摩の像を石に彫んで立て、今も尚、年々香華を上げて、参詣を怠りません。

石井研堂『日本全国国民童話』
(同文館・明44)