柳沢の法螺貝

原文

昔柳沢の渓間に怪物住み、風雨の夜は必ず唸声あり、或年初秋の薄暮、渓上雲を生じ風を起し、見る間に雷電はためき、怪物声を発して咆哮す、其声獅子の吼ゆるが如く、又怒涛の岸を噛むが如くにして、凄愴うるに物なく、人畜息を止め、始めは渓谷より荒れ出ししも、追々南に移りて黎明原町の海岸松林に達したる頃、殷々轟々天地為めに震動す、暫くして怪物の声消ゆると共に、雷鳴風雨一時に止み、黒雲四方に飛散して東天微かに曙光を染め、人々始めて吐息をつく、夜明けて、怪物の通路を訪ぬれば、柳沢より高橋川を下り、東縦川に沿うて大帯を曳きたるが如き、一条の痕跡あり、人々始めて知る、古来柳沢に住めりと聞きし法螺貝、既に千歳の寿を重ね、風雨を起してここに海に入りたるものならんと。

参考:八畳石

鷹根村は柳沢部落を去る北方の渓間に一巨石あり、上面平滑にして、其広さ畳三十枚を敷くを得べし、実際面十六坪三合二勺あり、里人呼んで八畳石と云う。八畳石の傍に一石あり、其下部に径数尺の穴あり、里人伝えて螺貝の脱出せし所なりと云う、蓋石灰質の溶け去りしものなるべし、元東方の山腹にありしが、寛永十二亥年洪水の際転落し来れりと云う。

駿河記云、岩の腹に螺の出たる穴あり、内を窺うに其巻たる跡形あり。藤泰(駿河記の著者)若年の頃此処に遊ぶ、文化十五戌寅(文政元年)年春三月十日、再び到て其奇石を見るに、大石三つに割たり、高さ一間半許、上の平七間に六間許、螺の出たる穴凡一間許云々。

八畳石、在愛山渓間柳沢村属地、高殆丈、石面円而坦、上可舒八席、我俗謂藺席為畳故得称、其状比巨銅盤、青色帯光沢如加磨琢者、石腹空朽逓乎作穴、腰下有口円経五尺許、南向容輝人立可入、行十余歩末稍為窄(沼津雑誌)。

『静岡県駿東郡誌』(大正6)より