大平の一本足

原文

昔、龍山村瀬尻寺尾の角右衛門は、屋敷内に諏訪明神の社を建てようと思った。秋であった。角右衛門は、用材捜しに同村中村の助右衛門と山奥深く分け入って、あれこれと尋ねては椎が沢へ出た。すると、木鳴がして逃げよと呼ばわる者がある。声のした方を見ると樅の木の枝を曲げて腰を掛け、たばこを喫む白髯の男がいる。山男だ、白髯童子だ。逃げよと告げたのは産土神に違いないと両人は帰宅した。三日目の朝、角右衛門は味噌を造った。するとまた、「角右衛門味噌をこねるか」と門外で声がして、何者かいるが脛から上は見えない。家人に見たかと尋ねたが誰も見ないと言う。声も聞かないと言う。それで、助右衛門はと尋ねると、今朝程から気持ちが悪いと言って床に就いていると言う。慰めて帰って来たが程なく死んだ。

椎が沢は神妻に近い。神妻の神主、月花若狭守の夢枕に「我は椎が沢の白髯童子である。身長は一丈六尺(約四・八メートル)、入るべき宮は出来ぬであろうか。八寸(約二四センチ)四方の宮で良い。建造して祭れ」と告げがあった。神主はその日に宮を造らせ、椎が沢に行き位置を定めて祭った。幾年かを経た。隣国三河が干魃で農民の苦しみは一方ではない。それで、雨乞いのため秋葉山に井戸替えの祈祷をと、瀬尻高誉(現瀬尻官林の地)まで来ると法師に出会った。「どこへ行かれるか」「俺達か、秋葉へ雨乞いに」「そうか」すげない別れを告げた。秋葉山からの帰り道、またも同じ所で法師に会った。「秋葉で何と言った」「まだしばらくは雨はあるまいと言われた」「困るだろう。神妻へ願ったら急に雨があろう」と法師は言い棄てて立ち去った。農民達が神妻に若狭守を訪ねて、これこれと訳を告げた。「法師は椎が沢の明神であったろう。よし」と若狭守は祈祷して神符を授けた。一同はこれを受けて引き取り、浦川へ掛かると大雨が来た。喜色満面雀躍して取って返しに神妻へ御礼参りをした。以来、椎が沢の白髯明神は五穀豊穣の神様と尊敬され、雨乞いには必ず祈願された。この童子こそ山婆の子である。瀬尻大平辺では雪の日に稀に大きな足跡を見ることがある。瀬尻ではこれを大平の一本足と言い伝えている。この社は山香村に属している。(佐野一丸報告)

小山枯柴『新編 遠江の伝説』
(羽衣出版)より