竜宮小僧

静岡県浜松市北区

都田川を遡って久留女木の里に至ると、絶壁の巌で囲まれた物凄い大淵がある。村人たちは竜宮に通じているといってきたが、ある年の田植えの繁忙期にこの大淵から小僧が飛び出てきて田植えを手伝うようになった。

小僧は田植えだけではなく、大雨が降れば干物を取り込んでくれたり、何かといろいろ手伝ってくれるのだった。小僧はいつしか「竜宮小僧」と呼ばれて村中のみなと仲良くなったが、ご馳走してやろうというと、蓼汁だけは食べさせてくれるな、と断っていた。

ところがある時、あまりにも竜宮小僧が蓼を嫌うので、食べさせたらどうなるのだろうと内密に蓼汁を出して食べさせた。すると、小僧は「あ、これはいけない」といったと思うと、そのまま死んでしまった。

村人たちは申し訳なく思い、中代の大榎の側に懇ろに葬ったという。その後、その榎の根元からは清水がこんこんと湧き出るようになり、中代に多くの田圃が作られた。今でもその田圃はこの清水を用いているという。

御手洗清編著『遠州伝説集』
(遠州タイムズ)より要約

場所は、かつての引佐郡引佐町で今の浜松市北区引佐町、ダム湖の「いなさ湖」のある北方に中代と見える。この里の棚田を象徴する伝説のようだ。柳田翁の『桃太郎の誕生』では、この話は河童の行うあれこれと併せて紹介されている。

東に行くと竜宮童子の話は見えなくなるが(三陸の釜男の面の由来などにはあるが)、浜名湖辺りには見える。しかも、このように「鼻取り地蔵」よろしく田植えを手伝うというのだから面白い。早乙女と竜蛇信仰との関係にも深く示唆するところのある伝説だ。