高山の池の主

静岡県静岡市葵区

足久保に池があった。今は跡があるばかりだが、まだ水をたたえていた頃のこと。水見色の杉橋長者の一人娘の許に夜な夜な通う若者があった。いつの間にか来て帰るので、家人にも娘にも正体が知れなかった。そこで、母はタフ(藤)の糸を若者の襟に縫いつけるよう娘に教え、これで行方を窺った。

追うと若者は高山の頂の古池に姿を没した。主の仕業だったかと怒った長者は、下男人夫を引き連れ池に行くと、巨石を多数焼かせて池中に投げ入れた。耐えられぬ主は下村の鯨ヶ池に逃れたが、この時一眼を失ったという。それで鯨ヶ池の魚は眇となったのだそうな。(美和村誌)

小山有言『駿河の伝説』
(安川書店・昭和18)より要約

麓の里が「和名抄」にもみる美和村であったことを思えば、蛇聟の話が古くからあってもおかしくないが、牛であったとするとこれは遠州桜ヶ池の伝説にかなり近い模様となる。

ところで(牛であるとしてだが)、長者が焼いた巨石を池に投げ入れている様子にも注目したい。これは牛に限らず竜蛇でもそうで、静岡県下に多いヌシの討伐方法なのだが、噴火などによる池の消失とヌシの移動、という問題に絡むモチーフであるようにも見える。

伊豆一碧湖の赤牛の伝説など、(赤)牛が移動した話というのは、地殻変動により池沼が消滅した話なのではないかと見る向きがあるのだが、投げ込まれる焼け石というのは火山弾を連想させる。鞴で池水を熱したとか、溶かした鉄を流し込んだなどというバリエーションもあるが、これらも同様だ。