麻機村東村の石橋家、一説に瀬名村の某の家の老婆が病の床についた。孫娘に小葭があったが、父母に先立たれ、頼むのはその祖母だけであったので、介抱に余念なかったが、験が見えなかった。そこで小葭は神仏の加護をと、駿府の浅間社に参詣することにした。
ところが川合の渡船に乗った折、河伯が小葭を見初め、突然の川浪に舟が転覆し小葭は川中に沈んだ。村中が大騒ぎして探したが、日暮れに汀の穴で見つかった小葭は五臓を抜かれ変わり果てた姿で死んでいた。
小葭の母の小菊は新田義貞の弟脇屋右衛門佐義助の妾であり、小葭はその落胤であった。これを失った老婆は悲嘆し、夜に病の床を抜け出すと、渡りに急ぎ、身を踊らせ川中に入り、生きながら大蛇となって河伯と戦い、これを退治したという。
その翌年から、池に霊草が生えるようになった。蓮のようなその草からは、食用にも肥料にも良い実がたくさん採れ、凶年には殊に多く実を結び、村里の人を助けた。これは老婆の余念であると思い、村人たちは追善供養の大施餓鬼を営んだ。
その際、水上に形が現れ、老婆の霊が礼をいったという。また、大谷村大正寺の石叟禅師のもとに、一老女が現れ、菩薩戒を授けられたともいう。これを聞いた村人たちは、汀の小山に宮を造営し、諏訪大明神として祀った。これは縁起として伝えられている。
麻機の辺りではよく知られた土地を代表する伝説。その追跡調査もよく行われており、この老婆は麻機城主岩崎氏の娘「秋野」が瀬名の村長瀬名家に嫁いだ人であったという。その娘小菊が駿河守護の脇屋義助に寵愛され、小葭が生まれた、のだそうな(和田雄剛『真相沼の婆さん』、中川順一郎『長尾川流域のふるさと昔ばなし』など)。
大正寺には今も老婆の堂があるといい、また話の南沼上諏訪神社近くの大安寺には「沼の婆さん」という龍に乗った老婆の像がある。岩崎家は昭和のはじめ頃までお祭りに赤飯を炊いて配っていたといい、近くには秋野の墓もある。いろいろな文物があるのだ。
しかし、ここではそのあたりはさておき、この大蛇と化した老婆が「沼の婆さん」と土地で呼ばれていること一点に注目したい。静岡にはこういった「うばがいけ」があちこちにあるのだ。そういう意味では秋野という特定の人の話、という面を越えている伝説でもある。
同静岡市の清水の方に「乳母ヶ池」がある。竜蛇の話ではないが、これも誤って子を落として死なせてしまった乳母が自らも入水した、といういわれがある湧水であり、乳母の名を呼ぶと水泡が浮いたという。
また富士市浮島のほうにも「浮島沼の沼のばんばあ」の伝説がある。これは夜に沼の方から「ボーボー」と鳴く声が聞こえ、これが沼のばんばあだと恐れられた、というもの。こちらも、大水で孫を流された婆の残念だという話になっている。
さらに遠州は浜松の方にいっても「うばヶ池」の伝説がある。これも死んだ娘の責を迫られた乳母が入水した池であったという。また、あとにこれもその姿を池上に現わしている。
ともあれ、静岡県各所にはこういった「姥が池・沼の婆さん」があり、山姥ならぬ沼姥とでもいうような存在が想定されていたようなのだ。麻機のこの伝説も、そういった枠組みの中にあるひとつなのでもある。大施餓鬼に姿を現しているが、これも「呼ぶと湧く」という類の話があったのじゃないかと思う。