成瀬が淵の女

長野県下伊那郡泰阜村

田本の某の家に美しい召使いの女があり、主人の胤を宿していた。ある日、女はいつものように井戸に映る自分の姿を見ていたが、その日には悲嘆の色があり、やがて黒雲がおおい大雷雨となる中、その女の姿はいずこへか掻き消すように消えてしまった。

数日後、行方知れずの女が主人の夢枕に立ち、「いつまでもこの身を不憫と思うて給わるなら、遠江国成瀬の淵の岸へ来て、大きくわが名を呼んで下され」といった。主人は女を尋ね遠江へ下り、成瀬の淵を捜し当て、言われたように女の名を紙に記し沈め、大きく名を呼んだ。

すると忽ち岸辺に女が現れ、二人はそこで巡り会ったが、別れるときになり、女は水の中へ帰る自分の姿を見てくれるな、という。承諾したが我慢できなかった主人がそっと振り向くと、十二本の角を持ち、波を掻き分ける怖ろしい大蛇が金色の鱗を閃かせ、淵の中へ沈むところだった。

それから田本の里には凶事ばかりが続いたので、村人たちはヌシの祟りと恐れ、蛇の名を石に刻んで神に祀り、毎年盛んな祭りをした。そのように霊を慰めるようになってからは、蛇の祟りはなくなったという。

やすおか「ふるさと文化のむらづくり」実行委員会
『泰阜村の民話集』より要約

岩崎『伊那の伝説』にほぼ同じ文面が見え、そちらから村誌を経て収録されたもののようなので、リンクしておいた。子を残さずに去ってしまう蛇女房とでもいおうか。人間の召使いの女が水のヌシの蛇に見込まれた、というよりは、遠州成瀬のヌシの蛇が人の女に化身して伊那田本の家に来ていた、という話だろう。その二カ所にどういうつながりがあるのかは現状不明。