むかし、親田の極楽峠の近くに、イゲンタと言う大きな池がありました。
あるとき親田に住んでいたひとりのおじいさんが、夜明けのまだうす暗い中を、極楽峠へ草刈に登って行きました。
するとイゲンタの池の近くに、見たこともない、きれいな娘が立っておりました。ふしぎに思ったおじいさんが
「こんなに朝早くどこへ行くのな」と聞くと、娘は
「深見まで行きたいのですが、道が分からなくて困っています。知っているなら、私を深見までつれて行ってください」と言いました。
おじいさんは「こりゃあ厄介なことになったぞ」と思いましたが、悲しそうな娘の顔を見ると、深見まで娘をつれて行くことにしました。
おじいさんは娘を背負って、遠い道を歩きつづけてやっとのことで深見に着きました。おじいさんが娘に
「深見のどの辺りかな」と聞くと娘は
「もう少し先まで」と言うばかりです。
そうするうちに、二つの池の間にある、お宮のところまでやって来ました。
すると娘は
「ここで降ろしてください」と言って、おじいさんの背中から降りると、池のそばに立ってお礼を言い、一本の扇子をおじいさんに手渡しました。
そして、娘はしばらく池の水を見ているうちに、だんだんと元気をとりもどしてきました。
やがて娘は「私の本当の姿をお見せしましょう」と言うと、一つの池の中へすべるように入って行きました。
すると、それまで静かだった池の水がごぉーという音をたて、恐ろしい勢いで盛り上がり、見る見るうちにお宮は沈んでしまいました。そして、二つあった池が大きな一つの池になったかと思うと、中から一匹の大きな龍が、水しぶきを上げて姿を現しました。
龍はおじいさんに顔を向けたかと思うと、また水の中へもぐって行ってしまいました。
すると空が急に曇り、激しい雨が降り出し、風も吹きはじめました。
驚いたおじいさんは、夢中でもと来た道を走り出しました。
そしてやっとの思いで親田にたどり着いたころには、もうすっかり暗くなっていました。
次の日の朝、「昨日の大雨で、イゲンタが流されたぁ!」と叫ぶ人の声で、おじいさんは目を覚ましました。
おじいさんは集まった人びとに、昨日あったできごとを話して聞かせました。すると人びとは驚いて、
「そういやぁ、イゲンタには大きな龍が住んでおるって聞いたことがある」と語り合いました。そして、今でもイゲンタの龍が深見の池に移っていった。というこの話は、大切に伝えられています。
親田のイゲンタの主
「親田のイゲンタの主」は、江戸時代の寛文三年(1663年)七月、福井県の三方五湖周辺を震源に発生した大地震で大事な湖が崩れてなくなってしまい、反対に大きな深見の池が出来たことから、この地方を襲った大侵害による人びとの苦難を、恩寵に変え伝えられた民話です。