網掛峠の蛇瘤杉

原文

非業で死んだ人の魂が、墓に植えられた樹に宿って、禍を人に与えた話は網掛峠の蛇瘤杉(じゃこぶすぎ)にもあった。

智里村字小野川の奥に当って高く聳え立つのが網掛峠。古道の跡と称し、其の頂きに祀られる網掛三社大権現のお祠近くに蛇瘤杉がある。伝えられる所は次の如くである。

昔近江の國琵琶湖の畔に住む網元の善平は、律気者で通った漁師であった。浜中の仲間からは親分と立てられて評判特によく、持ち船の数も多く家も栄えて何不足のない善平であった。此の善平に一人の美しい娘があった。近在に並びない器量よしで、それにもう年頃になって居た。浜の若い者たちが嫁に欲しいの、婿になりたいのと、夢中になって騒いで居る中に、娘の胸に何時の間にか影を宿した隣り村の若い漁師があった。親もなく兄弟もなく、天涯にただ一人、酒と女に戯れる浜の若い者の仲間にも入らず、朝は早くより夜はおそくまで、一人せっせと稼ぐのを、善平の娘の何時ともなく見るうちに、初めに寄せた同情はやがて男を思う心になった。語らぬ恋を胸に包んで幾日か経つ間に、父の善平は娘によい婿を捜して居った。娘は父に語らねば、父は娘の心を知る由もない。

やがて父の捜し求めた婿が決まり、祝言の日まで取り決められた。父の喜びに引きかえて娘は死ぬばかりに悲しかった。祝儀の日が次第に迫ると浜中は何となく騒がしくなった。望みを失くした若者たちの気持ちは次第に不穏の動きを見せるようになった。

今日は愈々祝言の日であった。父の善平を初め、家一同が喜びに輝いて居る間を、娘はそっと一人家を抜け出して、かねて思い慕った若い漁師の家へ駆け込んだ。そして驚く若者に泣いて心の裡を訴えた。若者は此の不意の出来ごとに取る術とてはなかった。二人は手を執り合ったままに運命の指図を待つより他はなかったのである。

二人は間もなく見付けられた。泣きぬれた可愛い娘を前にしては怒るにも怒れない父親であった。善平はすべての罪を我が身一つに背負うて二人はやがて晴れて夫婦になった。村の若者たちも親分の善平には手を出すわけには行かなんだ。

それからして暫くの後、善平夫婦は病気で続いて亡くなった。若い二人を憎む村の者たちは、恋の意趣返しにとうとう二人を村から追い出してしまった。二人は流浪の旅に出た。男は一と張りの網を肩にして身重き妻をいたわりつつ、僅かな獲物にその日その日の細い煙を立てながら、信濃路へ迷い入り、此の峠にさしかかって妻はお産の紐を解いた。そして長い旅路に悩む親子三人は遂に此の峠の頂で、故郷琵琶湖の方を眺めつつ抱き合ったままで死んだと云う。程経て村の人たちが見付け、親切に三人を一つ所に葬ってその墓標に一本の杉の木を植えた。すると不思議に其の木が一夜の中に伸びて雲を凌ぐ大木となり、而かも其の梢が三つに分れてその一つ一つが蛇の頭と変じ、遠く近江の方を睨んで居るのであった。

其の頃琵琶湖に大暴れがして船は摧かれ、人が死んだ。嵐の静まった湖水の水底に蛇の頭が三つ、絡み合って漂いまわるのを漁師たちは眼の当りに見た。占って貰うと何年、何月、村を追われた夫婦の者が信濃の山奥で亡くなった。浜の凶事はその祟りのためだと云う。漁師たちは直ちに此の峠を尋ねて三人の亡霊を神に祀り、三社大権現の社を建てて其の跡を懇ろに弔った。そのために杉の木の怪異も、湖水の不思議も漸くに鎮まった。

峠の頂きに男の持って居た網が掛けてあったので、其処を網掛峠と称し、その杉の大木を蛇瘤杉と称ぶようになった。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より