網掛峠の蛇瘤杉

長野県下伊那郡阿智村

昔、近江の琵琶湖のほとりに住む網元に美しい娘がいた。多くの若者が夢中だったが、娘は隣村の貧しいが働き者の漁師を慕っていた。そうとは知らぬ父が別の婿を探して祝言という日、娘は一人家を抜けると、漁師の若者に思いを打ち明け、二人は手を取り合った。

父は我が身一つで責任を取って、二人は許され夫婦となった。ところが、その父と母が相次いで亡くなり、この二人をよく思わない村人のいやがらせがはじまった。二人は村を追い出され、流浪の旅に出た。

投網一つで各地を渡り、信濃路へ迷い込んだ峠で、妻は子を産んだ。長い旅路に悩む親子三人は、この峠の頂で故郷の琵琶湖の方を眺めつつ抱き合ったまま死んだのだという。これを程経て村人が見つけ、三人を葬り、その墓標に一本の杉を植えた。

すると、不思議なことにこの杉は、一夜のうちに雲をしのぐ大木となり、梢が三つに分かれてそれぞれが蛇の頭となった。頭は遠く近江を睨んでいるのだった。時を同じくして琵琶湖は大嵐となっており、舟は沈み人が死んだ。その湖底に蛇の頭が絡み合って漂っているのを漁師たちは目の当たりにした。

占うと、村を追われた夫婦の祟りだと言われた。漁師たちはすぐにこの峠を訪ね当て、三人の霊を神に祀り、三社大権現を建てた。それで、杉の木の怪異も湖水の不思議も鎮まったという。峠の頂には男が持っていた網が掛けてあったので、網掛峠というようになり、杉の大木は蛇瘤杉と呼ばれた。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より要約

蛇瘤(じゃこぶ・だりゅう)杉は昭和二十八年に伐採されてしまったが、切り株と石碑がある。三社大権現は網掛社といったが、もう網掛山の頂にはなく、小野川の鎮守・伏谷神社に合祀されている。

琵琶湖と下伊那というずいぶんと離れた土地をつないだ伝説だ。まず、近江から信濃への人の流れを示す話であるといえるだろう。今も、中央道のトンネルが貫いているが、かつての東山道が中腹を通っていた網掛山でもある。

また、話自体は蛇と樹木の関係を語るものであり、直接的な蛇→樹木の変身ではないものの、「葬った場所に植えた木が蛇の気質を持つ」系統の一話ではあるだろう。ただ、このように遠方への怨嗟を示すというのは異例と思う。これを反映して琵琶湖の湖底では三頭の大蛇が見られたというのも特異な筋だ。