蛇出しが池

長野県下伊那郡阿智村

昔、波合村恩田のある百姓家の裏手の沼に沢山の草が茂ったので、これを刈り取って馬の飼い葉にやったが、食べた馬はにわかに苦しみ血を吐いて死んでしまった。人はそれを見て、人の怖がるあの沼の草を刈って食わせた祟りであろうと恐ろしがった。

翌朝百姓が裏へ出てみると、この古沼が大きな池となっていた。百姓は驚き、これはヌシの仕業に違いないと、早速畔に祠を建て、ヌシの蛇を神さまと祀った。これが即ち蛇出し(じゃだし)が池である。

それからしばらくは何事もなかったが、何年かして、ヌシが百姓の枕神に立った。そして曰く、この頃は体が池いっぱいに広がって住みにくいので、蛇峠(じゃとうげ)へ新しく池を作り、明日越す、長い間世話になった、と。

翌朝百姓が池に行くと、波が見る間に高まって、池の上にヌシの姿が見えると、ヌシは黒雲に乗って消えていったのだそうな。それ以降は、蛇出しが池はもとの沼に戻り、草の生え茂るのに任せてある。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より要約

浪合の北側に恩田はあるが、あららぎ高原といったほうがわかるかもしれない。何にしてもゴルフ場とスキー場以外は全くの山の中という風だ。そこにこの池があったのだというが、今は跡もわからない。

信州にはこのような大蛇が移動していく話が多く、天竜川上流域には殊に多い。蛇出しが池の大蛇もさらに後で行くのだが、下伊那には寛文の地震でできた深見の池があり、その出現の記憶とともに、そこに大蛇が移ったのだという話がそこここで語られるようになる。

この恩田の伝説は国交省がまとめた「天竜川上流域の災害年表」にも引かれ、そのような災害の話と見られるのだろうが、他の深見へ行ったヌシの事例と比べ、もう一段階前の移動である点が目を引く。