殺された大蛇の祟り

原文

豊村に昔一人の猟師があった。毎日鉄砲を肩にして昨日は東、今日は西と、毎日山奥を彼方此方と狩り暮らすのが仕事であった。

ある日、いつもの通り山奥深く上って行くと、俄に空が掻き曇って四方が見る見るうちに暗くなって来る。まだ日の暮れる時刻でないのに不思議なことと思いながら、樹陰に立ち寄り焚き火をしつつ一と休みして居ると雨がぽつりぽつりと降って来た。すると猟犬が何を見付けたのか俄い驚いて猟師の足の下にもぐり込む。引き出せば悲しがって逃げまわる。猟師は不思議に思いながら紐を解いて放してやると犬は喜んで一目散に逃げ去った。

間もなく頭上の樹の枝でただならぬ音を聞いた。猟師が仰いで見ると今しも鎌首を上げた大蛇が焔のような舌を吐きながら、獲物を覘って居るのが見えた。猟師は少しも噪ぐ色なく、予て用意した鉄の弾丸を込めて覘いをつけた。銃声が響いて弾丸はたしかに手応えがあった。百雷の落ちる様な音と共に黒い雲が谷一ぱいに広がって、大蛇の姿は何所へか消えて行った。

猟師は家へ帰っても其の日の出来事を誰にも話さなんだ。それから暫くして猟師は重い病気に罹った。到底助からないと思った頃、夢の中に猟師は「蛇が来る、蛇が来る」と叫びつづけた。「峠で殺した蛇が来る、俺はその蛇に生命を取られるのだ」と云って、初めて先きの日の出来事を物語った。

猟師は蛇に責められて遂いに亡くなった。村中総出をしてその峠の奥へ上って見ると、鉄の毒に肉が爛れて骨ばかりになった大蛇の死骸が谷の間に横たわって居るのを発見した。

その峠を今は蛇峠と称んで居る。その蛇の骨を削って飲めば如何な難病でも治ると云って、大切に蔵って居る家が今でもある。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より