矢野の大池の主

原文

旦開村の矢野に昔何がしと云う庄屋があった。その庄屋の一人娘、器量がよいので村中の評判であった。もう年頃になったので、村の若い者たちはてんでに自分の物にするようなつもりで、娘の家の周りをさ迷い歩く者さえも多かった。

かかる折から何処の家の者とも知れぬ美男が一人、ある日庄屋の家へ訪ねて来た、それが縁となってそれから後、夜な夜な忍んで娘に逢う日が幾日もつづいた。何処から来て何処へ帰って行く男かと、娘は怪しんで尋ねるけれど、それに就て男は一と言も云わなんだ。逢う日が重なって娘は何時か身重になって居た。

好む男の素性の知れないのが娘の大きな悩みの種であった。娘の暗い顔を見咎めた母親は、ある日娘にそのわけを尋ねたので、娘は此れまでの一伍一什を母に物語った。母は驚いてすぐさま巫女をたのみ、娘の身の上を占って貰うと魔性の物の仕業だと云う、毎夜忍んで来る道筋へ針を植えて置けと教える。その夜庄屋の家では巫女に教えられた通り男の通い路に何本も針を立てて置いて、そして翌朝行って見ると其処に大きな鱗が一枚落ちて居た。男はその夜限りに来なくなった。

それから二三日経っての事であった。村の猟師が大池の端を通りかかると、樹の根元に一匹の大きな猪が眠って居た、覘いを定めて撃ってやると確かに手応えがして猪は大池の中へ飛び込んだ。すると忽ちにして池の水が真赤に染まり、幾日経っても澄む様子が見えぬ。それから又数日の後、その猟師が再び大池の畔を通ると、水底の方に当ってひそひそと話し合う声が聞える、泣いて居るらしい声さえも洩れて来る。猟師がじっと耳を澄ますと

「父さんは猪を姿をして猟師に撃たれ、そなたは矢野で針に刺されて迚も生命は助かるまい、大池のヌシの血筋もそなたで後が絶えるかと思えば、それが残念でならぬ」と云う。

「母さんは其のように歎くには及ばぬ、たとえ私は針の毒で亡くなっても、矢野の家へ子供を残してあるからヌシの血筋の絶える心配はあるまい」と答える。

矢野の庄屋の一人娘の許へ夜な夜な通った魔性の男が此の大池のヌシの子蛇であったことが漸く知れて猟師はびっくりした。早速矢野へ駆け着けて此の由を注進に及んだので、庄屋の家では皆腰を抜かして驚いた。やがて娘が産気づき、医者を呼んで産ませて貰うと、果して幾筋もの小蛇が生れて来た。

ヌシの亡くなった大池は水が涸れて小さな沼になった、その下を流れる大村川には日に三度づつヌシの血が流れて来ると云うことである。

不思議な此の夜の話を聞き伝えた村の人たちは、怖ろしがって早速池の傍に祠を建てて神様に祀った。それからしては忘れても紡錘は鍋弦の下をくぐらせるなと云い伝えて居る。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より