濃が池

原文

宮田の里におのうという娘があった。この娘のところへ夜になると通ってくる美しい若い男があって、ふたりはいつしか親しい仲になっていった。ところがこの頃その男が見えなくなってしまった。おのうは恋しさのあまり何か目に見えない力にひかれるように家を出てあてどもなく歩きつづけていった。疲れたままに道端のさくらの枝を折ってそれを杖にして歩いていくうちに駒ヶ岳の山の上の池のほとりにきていた。池に近づいて水の面をみると、そこに恋いこがれてきたその男の姿が見えるではないか。おのうは嬉しさの余り思わず池にとびこんだきりふたたびあがってこなかった。

このことがあってから、誰言うとなくこの池を「のうが池」とよぶようになったという。池のほとりにはおのうが杖についてきたさくらが根づいて、今も美しい花が咲いておのうの心を弔うかのようである。

濃が池のうちに長くうねるように筋立って青ずんで深く見えるところがある。これが池の主の蛇身の姿だと言われており、ふるくはこの池に近づくことをさえ恐れ慎しみ、この辺りで騒ぐと山が荒れると信じられてきた。

日照りが長く続いたときは、この池の主に雨を祈るとかならず験があると信ぜられており、雨乞いのための登山がふるくからなされてきた。

   ○

宮田の里に「そうえもん」という働き者の若者があった。二十歳になって、「おのう」という縹緻よしで機織りの上手な気だてのよい娘と婚約した。

ある日、そうえもんが、朝早く起きて草刈りにいって草を刈っていると、どうした事か眠気がさしてきて、その眠気のなかに吸い込まれるようになってしまった。するとなまぐさい風が吹いてきて、はっと目を覚ました。見ると、大きな蛇がそうえもんを一呑みにしようとじりじりと迫ってきている。鎌を振り上げ、蛇を追い払おうとするが、体はしびれ手も動かない。人を呼ぼうと思っても声が出ない。蛇は大きな口をあけ、今にも一呑みにしようとした。そうえもんは歯をくいしばり、鎌を振り上げて体ごと蛇にぶっつかっていった。その途端にあんなに眠むかったのもふっとんで、動かなかった手足も自由になった。

鎌が蛇の首に突きささっていた蛇は苦しみもがきながらもそうえもんを巻きつけようとしたが、振り廻す鎌に切られた蛇は、やがてずるずるとそばの川の中へ沈んでいった。

その後、そうえもんとおのうは結婚した。ところがそうえもんの顔色が青ざめてしまい、顔に笑いさえ無くなってしまった。そして三日目の夜ふけ、そうえもんはそっと母親をよんで、うす暗い行灯の明りもとに眠っているおのうの顔を見せた。それは見るもおそろしい大きな蛇の顔に変っていた。

次の朝、そうえもんと母親とは「おのう頼む、何も言わなんでこの家を出て行ってくれ」と頼んだ。おのうが何とたずねても訳は言えない。

気も狂わんばかりに嘆き悲しんで家をとび出したおのうは、いつか山道をあてどもなく歩きつづけていた。疲れたので道端の柳の枝を折って杖について歩きつづけ、ふと気がつくと駒ヶ岳の頂きに近いところへきていて、そこに美しい池が見える。のどが乾いたおのうが池に近づいて、水を飲もうとしてかがんだところ、池の水面にうつったのは、見るも恐ろしい大蛇の頭だった。その時はじめて、おのうは家を出て行ってくれと言われた訳がわかり、もう生きる力も失ってしまって、美しい池をめがけてとび込んで、身を沈めてしまった。

その後、岸べにおのうが残した柳の枝が地につきささったまま葉をひろげ、枝が茂ってきたが、杖のままの逆さであった。そして、美しく晴れた日、耳をすますと池の底から機織りの音がかすかに聞えてくる。

それ以来、駒ヶ岳のこの美しい池を、誰言うとなく「のうが池」と呼ぶようになったということである。(以上二つの話は、昭和五十年宮田小学校授業のもの)

『宮田村誌 下巻』より