龍宮塚の椀貸穴

長野県上伊那郡箕輪町

中箕輪村松島の北の端れに瓢形の古墳があって、これを王塚と称して居る、敏達天皇の皇子頼勝親王の墓だと伝えられて居るが、それは分らない。その傍に龍宮塚と称ぶ小さい塚があって、その蓋石の下が穴になりそれが龍宮まで届いて居ると云うのである。お客のある時、龍宮へ頼んで入用の膳椀を貸して貰うので大へんに重宝がられて居た所、一度借りたお椀を毀したままで返さなかったために、それからは如何に頼んでも貸して呉れぬようになったと云って居る。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より

松島王墓古墳は全長60メートルの前方後円墳(上伊那唯一だそうな)で、今もしっかり保存されている(県指定史跡)。陪塚も一基現存し、話の龍宮塚だと思われるが、蓋石や穴が今どうなっているのかは不明。

ともあれ、椀貸しの話の、その舞台が塚穴だという事例となる。今竜宮というと海神水神の住まう宮殿を思うだろうが、昔話の中では端的に「あの世」と同意という印象も強い。この陪塚が龍宮塚であり、穴が龍宮に続くのだというのはそれをよく表しているだろう。