漆戸の淵

長野県上伊那郡箕輪町

天正年間、漆戸右門がこの淵に住む大蛇を殺したことが『小平物語』に記されている。七月下旬、右門が家士に鵜を遣わして見物していたところ、鵜が少しも進まず、生臭い風が吹き、さざなみが頻りにおこるので、不思議に思って松明を振立てて見ると、「獅子の頭の如くなるに、両眼日月の如くにて、口をあき」右門目がけて迫ってくるものがあった。右門「左の手に松明をふり立て、二尺二寸の大脇差を抜き首を斬ければ、口をあひて掛りける処を、左の手に持たる松明串を口へ火共に突込むければ、水をはたき淵鳴動して見へざるなり。」翌日、三里計下の眼田河原というところに、流れ上がった。そのもの長さ十間計りの大蛇であったと。「鬚の長四尺、左右に六本の牙、上下に四枚牛の歯の如き小歯あり、首半分切れ、炬火串を噛死にたりける。」前代未聞之見物であったと書かれている。(藤原拾葉「小平物語─漆戸右門大蛇を殺ス事─」)

『長野県 上伊那郡誌 民俗篇上』より

辰野町の天竜川羽場の淵から十町ほど下手に漆戸の淵(一名・同善淵)はあったという。今はもうすっかり護岸工事がされてしまっている地域であるが。

この話は「漆戸右門の大蛇退治」としてよく知られるもののようだが、このように「蕗原拾葉・小平物語」の第三十一「天竜川由来柴太兵衛河童ヲ捕フル事 附タリ漆戸右門大蛇ヲ殺ス事」と見え、その梗概としているものを引いた。

引いた梗概にはないが「小平物語」には、この時「右門主従蛇毒ニ当リ煩ひぬ」とあり、昔話化して語られるものも、右門が大蛇の祟りにあった、それは魚を鵜で捕っていたことへの祟りであったなどとも語られるようになる。