葛窪の白蛇の碑

原文

むかし、八ヶ岳のふもとの池袋の村はずれに、池生(いけのう)神社の池があったと。

ほの池のまわりは、でっけえ木がしげって、昼間でも、うす暗えとこだって。ほの池に蛙や、蛇が飛びこむと、すぐ池の主がひきずりこんでしまうもんで、村人から、おっかながられていたって。

だけんど、客呼びや、おとぶれえなどで、お膳がたりねえ時は、ほの池の主に、おねげえすると、ひつようだけ、ちゃんとかしてえくれただと。

村のしょうは、たりねえ時にゃあ、いつもかりていただって。

おねげえする時は、かならずま夜中だと。ほして、かえす数が一膳でもたりねえと、もうかしてもらえねばかりか、おそろしいたたりにあうだって。

池袋に、年取った夫婦と、おさわという娘がおったって。

おさわが十四才の秋、となり村から、むこ様をむかえることになったと。ところが、おさわの家は、びんぼうだもんで、お客に使うお膳がなかったと。

かわいいおさわの婚礼を、にいやか(賑やか)にやりてえ。ほれには、池の主にかりずと、夫婦は、ま夜中池にでかけたと。

「池の主さま、おさわの婚礼に使うお膳を、二十人前かしてくださいましょ、おねげえ申します。」

と、おっかなびっくり、たのんだって。

ほうすると、まっ黒い池の水が、ピカッ、ピカッと光って、水がピシャ、ピシャと音をたてたって。

夫婦は、次の朝、池へいってみると、池のはたに、しゅぬりのお膳が、ちゃんと二十膳あったと。どこにもねえ、とてもいいやつだったって。

おかげで、おさわの婚礼は、しんるいしょうや、おとなりしょうがよって、にいやかにおえたと。

ほして、おけえししようと、お膳を、かんじょうしてみたら、どういうだか、一膳だけたりなんだと。何度かんじょうしても、やっぱし、たりねえ。家中さなげたり(探したり)、婚礼に集まったしょうにきいてみたが、いっこうわからなんだと。

夫婦は青くなったって。しょうがねえ、かわりのお膳をひとつ作って、数をそろえて、池へでかけたって。

「池の主さま、どうかかんにんしておくんな。一膳だけどっかへいっちまって、なんぼうさがしても、めっからなんだので、ちがうのをこせえました。どうかおゆるしくださいましょ。」

と、何度も何度も、頭をさげたって。まっ黒い池の水がピカリ、ピカリと強く光って、水がピシャン、ピシャンと大きな音をたてたっちゅう。

ほの日のま夜中のことだった。おかしなことに、おさわの姿が、すうっと、どっかへ消えちまったと。夫婦や、村のしょうも、さげえたが、めっからなんだって。人びとは、きっと池の主のたたりにちげえねえ、ほれじゃだめだと、あきらめたって。

おさわをなくしちまったむこ様は、毎日、毎日池のはたにいっちゃ、池をながめて、せつながってたって。ただ、水の上が、ピカリ、ピカリと光って、ピシャン、ピシャンと水の音がするだけで、なんにもでちゃあこなんだっちゅう。

ほれからあとは、村のしょうが、なんぼうおねげえしても、お膳は、かしてもらえなんだと。

秋がすぎ、冬もおわり、春になったと。ほのいとに池のはたに、一本の藤の木ができて、どんどんでっかくなったって。ほして、何年かのちの五月には、かわいい花がさいたと。

むこ様は、ほの紫の藤の花を、おさわの生まれかわりだと思ったと。

「おさわ、おさわ。」

と、何度も呼んじゃ、せつながったって。

いまは、底無しの池の水はなくなって、草っ原になってしまい、むかしの姿はいっこもねえ。ただ、毎年五月になると、藤がやさしい花をつけて、ほんのりと甘いにおいをただよわせているだけだって。(富士見町境池袋)

 

お話 富士見町境 平出久平さん

竹村良信『諏訪のむかし話』
(信濃教育会出版部)より