底無しの池

長野県諏訪郡富士見町

昔、池袋のはずれに池生(いけのう)神社の池があった。昼でも暗い所で、底なしの池には主がいると恐れられていた。しかし、この池の主は、村の客呼びやとぶらいなどにお膳を貸してくれるので、重宝され、村のしょうはいつも借りていた。

池袋におさわという娘がいた。十四の秋、隣村から婿を迎えることになり、婚礼となった。家は貧しいので、膳は池の主に借りた。ところが、無事婚礼を終えた後、お膳を返そうとしたら一膳足りなかった。どれほど探しても見つからない。

仕方がないので、かわりのお膳を作り、数を揃えて池の主に謝り、返した。しかし、その夜からおさわの姿が消えてしまい、村のしょうも方々探したが、見つからなかった。池の主の祟りだとあきらめられたが、おさわをなくした婿どのは毎日せつながって池を眺めていたという。

春になり、池の傍に一本の藤の木ができ、どんどん大きくなった。五月になると花も咲いたが、婿どのはこれをおさわの生まれ変わりだと思って、何度も名を呼んだそうな。今は底なしの池もなくなって草原となり、昔の姿はないが、藤は今も花を咲かせるという。

竹村良信『諏訪のむかし話』
(信濃教育会出版部)より要約

池生神社は信州各地にあるが、平安鎮座という富士見町池袋の鎮守である池生神社は要するに諏訪の神の社となる。池のヌシが何物かは語られていないが、竜蛇と思ってよいだろう。実際、その神池はあったと他記録にも見える。