日本武尊が碓氷峠を越えて越後の賊を討ちに行ったとき、途中山中で日が暮れ、一軒のあばら家に泊まることになった。主の老人は腰が曲がっていたが、寝床を用意してくれ、尊はぐっすり寝入った。
ところが、夜中に強く弓を引く音がして尊は目を覚ました。思わず外に出てみると、シャンと腰を伸ばした老人が、弓を引いている。尊がその弓を引いてみると、自分の弓の三倍も強い弓だった。尊はすっかり気に入り、老人にその弓を借り受けた。
こうして尊は越後の賊を攻めたが、普通の弓では届かない山上の城にも、老人の弓は火矢を届かせることができた。帰りに尊は老人の家に行き、弓を返すと、なぜ貸すのは良いが、譲ってはもらえないのか、と尋ねた。
老人は尊についてくるよういい、裏山の奥深くに案内した。そこには美しい湖が広がり、老人の姿は消えた。すると、湖が突然波立ち、双頭の大蛇が現れた。そして、どこからともなく、その大蛇に帯を取ってくわえさせるように、と声がした。
尊がそのようにすると、大蛇は二つの頭で帯を引っ張って、湖を二つに分けるほどの弓になった。遠くからの声は、この大蛇は湖の護り神で、自分の頼みで使いをしてくれている、これが強弓の正体なのだ、と語った。その声は諏訪大明神の声であり、尊は大明神の助勢に礼を述べた。
大蛇が弓になるという、おそらく大変珍しい話と思う。丹塗矢の神話に代表されるように蛇はその男根状の頭の形から(あるいは牙と鏃の類似から)、矢とはよく連絡するが、弓が蛇であるというのは聞いたことがない。
その正体が蛇ともされる虹がまた弓に見立てられたり、老人が引いている様子が梓弓の様であったり(託宣の蛇・琵琶法師への連想)と、ない話ではない、という感じもするが、ともかく比較できる他の話を知らない。
ところで、この「諏訪大明神」とは誰のことだろうか、というのは考えどころではある。諏訪の神は時折、このように日本武尊を助けたり、坂上田村麻呂に合力したり、元寇に神風を吹かせたりし、武人の守護の神格を示す。
また、引いた話の弓というものが端的に示すイメージは狩猟だろう。諏訪の神は狩猟の神でもある。これが、額面の建御名方神に由来する性格なのかというとはなはだ疑問ではある。まして、地主の神といわれるミシャグチの神が武人に合力する謂れというのもない。
すなわち、この諏訪大明神とは甲賀三郎のことだと思うのだ(「甲賀三郎・小沼」など)。というよりも、甲賀三郎とは、諏訪の神を武人の守護神であり狩猟の神であるという性質に変質させるために生み出された神格なのではないか、と私は考えている。