双子池の伝説

原文

1 お染と与七郎の悲恋物語

昔、臼田近くの名主の息子与七郎と作男の娘お染は恋仲であったが、これを知った名主はお染親子を村から追い出し、別に与七郎の結婚話を進めた。ちょうどその頃、カラ雨のため大飢饉となり、村人たちの間で双子竜神の人身御供を捧げることになった。かって出るものがなく、相変わらず飢饉は続いた。これを知った与七郎はある夜、恋しいお染の名を呼びながら雄池に身を投じた。それを聞いたお染も与七郎を慕って双子池に身を投げたが、誤って雌池を選んだ。カラ雨は終わり、それ以後双子池は、年に一度増水して二つの池がつながるようになったが、これは与七郎とお染の強い愛のきずなのためであるという。

 

2 佐口

昔、隣村の大百姓に、与七郎という息子があった。年ごろになって、縁談はあちこちからあったが、みんな断ってしまったという。実は、与七郎は、作男の一人娘お染を愛していたのだった。これを知った与七郎の両親は、お染親子を追い出してしまった。

ところがその年、近年にない大旱魃になり、村ではお染を双子竜神のいけにえにすることに決めた。これを知った与七郎は、気が狂ったようにお染の名を呼びながら、自ら竜神のいけにえになり、お染もそのあとをおったという。この時、与七郎が命を断った池を雄池、お染が入った池を雌池と呼ぶようになった。(『長野県史・民俗編』)

 

3 佐口(大尽の息子がヌシになると宣言する話)

 

4 佐口

「双子の池」は、双子山の下に見える池で、この峠から向かって右側を雌池(女池)、左側を雄池(男池)と呼ぶ。雄池の底には、竜が通った跡と伝えられる黒い帯状の線、ウミバラがうねっている。そのために、昔からこの池には、主である竜神が住んでいたと語り伝えられている。日照りで雨が欲しい時は、小石を池の底のウミバラにぶっつけると、主である竜神が怒って、雨を降らせると信じられている。

また佐口では、雄池のウミバラに小石をぶっつけたり、雌池の水を樽にくんで、地面に置かないようにリレー式に運び、水上の川へあけると雨が降ると信じられている。(『長野県史・民俗編』)

 

5 佐口

諏訪湖と松原湖の主である雌竜と雄竜とが、巡り会うのも双子の池であると伝えられている。双子の池より松原湖に移ったとう竜神が、諏訪湖の竜神をここで迎えるのだという。(『長野県史・民俗編』)

 

地名伝説

佐口

「佐口」は「じゃぐち」が「さぐち」に転化したもので、検地のための間縄のじゃぐちを埋めた所だと言われる。氏神をまつる諏訪社の石段の中ほどが、その埋めた場所だと伝えられる。

また、昔、諏訪明神をまつる諏訪神社の案内人が住んでいたので、「佐口」と呼ばれるのだともいう。(『長野県史・民俗編』)

『八千穂村誌 第三巻 民俗編』より