双子池

原文

立科山中に二つ並んだ池があって、これを双子池といっている。

むかし切原村(現臼田町)上小田切に十三になる美少年がいた。蛇の絵が好きで、寺子屋へ行っても蛇の絵を描き「双子池の主になる。」と書くほかは更に勉強をしなかった。

ある日急に少年の姿が見えなくなった。驚いた家人が方々を探した末、もしやと思って双子池まで来て見ると一足の雪駄が脱ぎ捨てられてあった。「この世の思い出に姿を見せてくれ。」と願うと、静かな水面が泡立って、池の中程から若衆髷に結った少年が、にこやかな笑顔で現われて間もなく消えた。再び願うと渋面を作った姿を現わした。三度目にていねいに願うと黒雲を巻き起こし、しぶきをとばした恐しい大蛇となって現われた。少年は望み通り池の主となったのである。

その後、家人が願いごとを手紙に書いて池に投げ入れると、何でもかなえてくれた。ある時約束をまちがえたらその後は聞かなくなってしまった。

むかしは十五歳で元服(成人を示す儀式)したものだが、この時からその家では十二で元服するようになった。(切原、教員、鷹野知明32)(栄、農、青木茂作68)(切原、農、新海熊太郎80 高柳五百吉43)

 

参考

この池の伝説は、郡内処々にあって、それぞれ多少の相違がある。以下その異る点を記す。

一、常に「主になりたや双子の池の……」と唄っていたともいう。

二、大窪の大明神前の広場で地踊りをしていた時、黒雲に包まれ双子池に運ばれたともいう。

三、姿を現わした回数は語る人によって二回一回と異なっている。

四、雪駄はその家の宝物となって保存されたともいい、石祠に祀られたともいう。

五、雪駄ではなく一本歯の下駄ともいう。

六、雪駄の跡は岩に附いて池の中にあり、渇水のときに見えるという人もある。

七、願い事のきかなくなったのは、主が上州榛名の池に移ったからだともいう。

八、また主が、その家の夢枕に立って芦田明神として祀られたから、そちらへ移るため願い事はきかぬと告げたともいう。

九、またあるいたずらものが、借りた物品の数を減らして返したためこわがったのだともいう。

十、池の中にある二本の碧い線は、主の通ったあとだといって蛇道ともいう。

十一、栄村では十七歳の一人娘が入水したのだという。

十二、雨乞いの時はその家から手紙をもらっていって投げ込むときっと雨が降ったという。

十三、またこの池は、男池と女池とも言われ一年に一度は両方の池がいっしょになるともいいう。

十四、むかしは、池は人々に恐れられ足を洗う者さえなかった。洗えば直ちに死ぬといわれていた。

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』
(佐久教育会)より