昔広瀬の兄弟が八ヶ岳に登り、大きな岩窟で休んだ。兄が穴をのぞくと、太い綱が下がっていたので、降りて行こうとした。ところがその綱が切れて落ちてしまい、弟は驚いて家に逃げ帰ってしまった。
兄が気がつくと、きれいな娘が洗濯しており、帰る道を尋ねると、穴に落ちたものは一生出られない、という。彼は仕方なしにその家で暮らすことにした。娘は一人のおじいさんと暮らしていたが、彼が家に入ると娘もおじいさんも蛇になってしまった。
その後、彼は岩窟を抜け出し、家へ帰ったが、村の子ども達は彼を見ると、恐がり泣いて家へ逃げ込むのだった。不思議に思って淵に行って見ると、蛇になった自分の姿が映った。彼は驚いてその淵へ飛び込んでしまったという。
これはその名は全く出ていないが、甲賀三郎の話(「甲賀三郎・上影」)が土地の昔話と化した事例。もはや諏訪湖や諏訪明神も出ていない。松原湖よりさらに南の土地で、もう蓼科山もずいぶん遠くの山というところなのだろう。
「諏訪縁起事」では、甲賀三郎が地中から訪れた維縵国の姫の婿となり、その国の衣装を着たので蛇体となってしまった、と語られるのだが、こちらでは地下の娘やそのおじいさんがずばり蛇なのだとなっている。
一方で、こういったところには、いろいろの甲賀三郎の話が、はたして「甲賀三郎の伝説」なのかどうか、という問題も見えるだろう。人が蛇になる話などが語りたいことで、三郎の名はそれに冠されただけだ、というなら「甲賀三郎の伝説」は前面には出ない。
それは逆に、遠く離れていくと、甲賀三郎の名がまた違った筋で使われている、ということにも見える。伊那の方にも甲賀三郎の話があるが、蛇にもならなければ諏訪湖にも来ない三郎なのだ(「甲賀三郎と犬石」)。