甲賀三郎

原文

むかし、立科山の龍宮渕に甲賀三郎が住んでいた。ある日、世間に出て来るといって、日頃用いている藤梯子を使って崖を登り、この世界に達する。ところが妻が、大切にしている鏡を忘れたから引返すと云う。妻の代りにそれを取りに行った間に、兼ねてから三郎を邪魔者にしていた兄が、再び登って来ぬようにその梯子の藤を根から断ち切ってしまう。三郎は元の龍宮渕で、数年を暮したが、三郎の第二の妻ともいうべき者が握飯を四十九こしらえて与えたので、一日に一つずつ食って、この世に出て見る。元の妻は三郎を思う余りに発心して、浅間の真楽寺で法華経を読誦していた。三郎は再会を喜んで夫婦睦まじく暮していたが、ある日里人が、三郎が近頃だいぶ大きくなって、真楽寺の池では狭いから、諏訪の湖へ遣ろうと話して居るのを聞く。心付いて我身を見ると、大蛇になって境内の池に棲んでいる。大いに驚いて、早速諏訪の海へと志して真楽寺の池を出て、来た方を振り返ってみるが、ようやく首が抜けたぐらいしか進んでいなかった。この時里人たちが、三郎まだ近いぞと云ったので、そこを近津ということになった。岩村田町の中にある郷社近津神社は、この跡である。二里ほども行って、今の南佐久郡前山村の辺で再び振り返ってみると、ようやくその尾が真楽寺の境内を出るところであった。それで、今も前山村の辺に尻垂山がある。後にこの地に寺を建立して尻垂山禎祥寺と称した。今なお大きな寺院である。このようにして三郎は終に諏訪の湖に入り、神に祭られることになったという。(「郷土研究」第三巻十一号)

『日本伝説大系7』(みずうみ書房)より