通らず 長野県佐久市 馬坂と狭岩との間に「通らず」という淵がある。昔村人が通りかかると、川の中から一匹の河童に似た大蜘蛛が出て来て、その人の足に糸をからめて引きずり込もうとした。 村人はあわてて糸をそばの大杉の株に掛けたので、蜘蛛はそれを川の中に引きずり込んでしまった。それから村の人たちはそこを通らなくなり「通らず」の名がついた。今でも子どもらは河童に引かれるといってそこでは水を浴びない。 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』(佐久教育会)より要約 上田市のほうに、河童が蜘蛛になって出てきた話があったが(「蜘蛛になった河童」)、狭岩峡付近らしきこの「通らず」の淵では「河童に似た大蜘蛛」が出たのだという。前者に比べると、そもそも水の蜘蛛と河童が近しいものだと言っていることになるだろう。 そうなると、この「河童」というのがどのような存在なのか難しい。頭にお皿、背中に甲羅の嘴のある緑色の所謂河童であるのか、そこに収斂してしまった、この地独自の水の怪の姿があったのか、だ。 ひとり佐久地方だけで淵の蜘蛛と河童が近しいというのなら、後者なのだが、濃州から尾州にもそういう話は見えるので、簡単にはいかないところだ。郡上には、上田のように「河童(かわやろ)が蜘蛛に化けて」という話がある(「河童」)。 郡上から南に、尾州一宮に至る手前の東浅井の池には鯉から蛇からいろいろのヌシの話があるが、糸を掛けてくる池の蜘蛛の正体が「耳の生えたスッポン」だった、という話がある(「東浅井の池」)。これはさらにスッポンが大蛇のようになったりもし、蜘蛛から河童的なスッポン、そこから大蛇と三様をつなぐ話でもある。 話を信州に戻すと、近く軽井沢のほうには美女の姿となって糸を掛けてくる蜘蛛もいる(「雲場の大蜘蛛」)。よりありがちな女郎蜘蛛の怪、様ではあるが、会津地方のように、そもそも河童が美女であることが多い地域もあるので、連なる可能性もある。 ツイート