蛇石さん

原文

佐久市平賀の常和の山田神社は蛇沢にあってぞくに蛇石(へえびつ)さんといわれている。むかし素盞鳴尊が八岐の大蛇をお切りになった時、大蛇の霊魂は白い鳥となって東へ飛んでいった。ところどころで猟人におどされ飛ぶ力もなくなって蛇沢の石の上につばさを休めていた。その時通りかかった猟人に射られ、石の上に血を残したまま死んだ。すると鳥の霊が移ってその石は青白い大蛇の形になった。

いく年かの後、山城の国(京都)愛宕生れの黒沢藤太郎という落武者が蛇沢へ来て、この石の近くにとりでを築いた。そして田畑を耕し始めたところ、この石がじゃまになったので、割り取ろうと石屋をたのんだ。石屋が一のみあてると、かみなりのような音をたてて石は三つに割れた。胴は田口(臼田町田口)尾は内山(佐久市内山)へ飛び、頭からは血が吹き出し沢山の蛇が出て来て、藤太郎達に危害を加えようとした。藤太郎は驚いて阿部の清明という者に加持祈祷をしてもらった。その夜の丑の刻(まよなか)に生暖かい風と共に白蛇が現われて、素盞鳴尊に切られてからの因縁を語り「我を黒沢の屋敷神として崇めたてまつれ、しからば危害を加えず諸願成就いたさすべし。」と言った。藤太郎がそれをちかうと、姿は見えなくなった。そこでこの霊石を御神体として祭ると、その家は大へん栄えたという。これが山田神社の始めだという。

またむかしある百姓が山へまきを取りに行くと、きれいな石があったので、それを拾って途中まで来ると大変重くなった。降して見ると蛇のような形の大きな石になっていた。不思議に思ってその石を割って見ると、中から血がだらだらと流れ出た。驚いて村人に話すと、それは「生きている石だ。」「神様の石だ。」というのでお宮を建てて祭ったのだという。

またむかしある農夫が、馬を引いて山へ草かりに行ったとき、荷が傾むいたので片方へ石をつけて来て畑の畔へおいた。ある日、畑を耕している農夫がくわの先をあてて傷つけると、そこから血がでたので神に祭ったとか、また夢枕にたったので祭ったともいう。

この石は形は蛇のとぐろをまいた形とも、牛の寝た形だともいう。この石はだんだん大きくなって社殿の外へはみ出して来るので、時々社殿を改築して今のような大きい社殿となり、今の社殿の一部がはみ出しているのもそのためだという。あるいは神に祭られてからは大きくならないともいう。

 

(附)

○この石の上に蛙をのせると、見るまに消えるという。

○八岐の大蛇の八岐を取って、この地を山田とつけたという。

○神社から小さい鎌を出して虫切鎌と称し、小児のお守りとする。

○社のお砂を味噌こがの下へまくと、味噌が悪くならないといい、またこの砂をまいた所へは、へびや鼠がでないという。

○神札を張っておくと、鼠や蛇が出ないといって、田んぼなどへも立てておく。

○御神木の杉の皮を味噌桶に入れると、味噌がよく出来るという。

 御神木を入れて味噌をつくるとちがわないという。

○まむしにかみつかれたとき、参拝すると痛みがとれるという。

(常和、農、土屋乙平81)

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』
(佐久教育会)より