多留姫の滝の膳椀

原文

むかしのことでした。

大泉山のそばの玉川村(茅野市玉川)に、おひゃくしょうさんの若い夫婦が住んでおりました。ふたりのくらしはびんぼうでしたが、まじめにせっせとはたらく、仲のよい夫婦でした。

ふたりは、いつも、水をだいじにしました。村のいたずらの子どもが、おもしろがって、おしっこを川の中へじゃーじゃーしているところを見ると、

「これこれ。そんなことをしちゃあだめ。水の神さまがおこってチンボをまげてしまうぜ。」

と、いつもちゅういしてやめさせました。

また、毎日つかっている、家の前の清水ばたへは「水神」としるした石碑をたて、一年になんかいか、いろいろごちそうをそなえ、おまつりしてかんしゃしました。

若い夫婦は、まずしいながらも、しあわせな毎日をすごしていました。

ところが、ふたりのあいだに子どもが生まれないのが、なによりものたりません。なんとか子どもがほしいものだと、田んぼへの仕事のいきかえりに、道のかたわらに立っているお地蔵さんに、

「どうか、お地蔵さん。おらあたちに子どもをさずけてくだせえ。」

と、ふたりはいっしょうけんめい心をこめておいのりしました。

すると、しばらくして、ふたりのねっしんなねがいがかなえられて、玉のような男の赤ちゃんが生まれました。若い夫婦のよろこびようったらありません。

「おらあのところで赤ちゃんが生まれたぞ。」

「玉のような子どもだ。」

いきあう人に、だれかまわずにいいました。

そしてうれしくって、こんなことも話しあいました。

「なあ、おまえ。しんるいの人やきんじょの人たちを呼んで、赤ちゃんのお客をしたらどうかなあ。」

「ええ、わたしもそう思ったんです。でも、うちにはお客に使うお膳や、お椀がないんです。」

お客をすれば、一度にたくさんの人があつまってきます。それに使うお膳と、お椀がひつようです。まずししいふたりには、それをそろえることはとてもむりでした。若い夫婦はすっかりしょげて、あきらめました。

それからすこしたった、あるうららかな春の日でした。ふたりは、田んぼにでかけ、ひと仕事すませてあぜに腰をおろし、春のポカポカした光をあびて休んでいました。ふたりはいい気分になって、こっくりこっくりと、いねむりをしました。夫婦は夢をみたのでした。

「わたしは、多留姫の滝の水のせいです。あんたたちふたりが、いつも水を大事にしてくれるので感心しています。赤ちゃんのお祝いをしたいんだってね。お客にひつようなお膳と、お椀なら、わたしがかしてあげます。夕方、いるだけの数を紙に書いて、滝つぼへなげいれなさい。そして、あしたの朝もちにきなさい。かえすときは、数をまちがえずにきちんとかえしてください。」

と、まっ白いきものをきた美しいお姫さまがそういったかと思うと、すうっと煙のようにきえました。

ふたりはおどろいてパッと目をさましました。今の夢のことをはなすと、なんとふしぎなことでしょう。ふたりともまったく同じ夢をみたのにたまげて、おたがいに顔を見あわせました。

──夢だ。そんなことありっこないぞ。……半分は信じたく思い、半分は信じられませんでした。それでも、ものはためしだと、ふたりはやってみることにしました。

多留姫の滝は、八ヶ岳から流れてきた水が、大泉山のたもとの高い岩の上から、白蛇のようにすべりおちていました。滝つぼの青くすんだ水は、手ですくってのんでみたくなるほどきれいです。大昔、多留姫という美しいお姫さまが、滝のきれいさにひかれて、とびこんで死んでしまったことから多留姫の滝と呼ばれていました。

若い夫婦は、夢でいわれたとおり白い紙に、

「お膳と、お椀を四十人前おねがいします。」

と、書いてていねいにおりたたみ、ぽーんと滝つぼへなげいれました。そしてポンポンポンと手をうっておがみました。

白い紙は、滝つぼのまわりを三回くるくると、うずまきのようにまわって、まん中からドローンときえました。

さっそく、あしたの朝でかけてみるとどうでしょう。岩の上にお膳とお椀が四十人前、ちゃんとそろえてならべてありました。

ふたりは、なん回も目をこすって見ましたがほんとうです。若い夫婦はよろこんでもちかえり、ぶじにお客をすませました。

そして、きれいにして同じばしょへならべました。

「でえじな物を、どうもありがとうさまえ。」

と、おれいをいいいました。するといつのまにか、また、滝つぼの中へ、すうっとひっこみました。

そのあと、若い夫婦はこのことを村人に知らせました。それならばと村の人たちも、「二十人前」「三十人前」と、紙に書いて、同じようにやりました。すると、やっぱりお膳とお椀をかしてくれました。

村人はたいへんちょうほうがり、つぎつぎとおねがいしました。

そのうちにわるいやつがいて、五十人前かりといて四十九人前しかかえしませんでした。

一人前ぐらいかえさなくてもわからないだろうと、思ったのです。そうしたらもうおしまいでした。

水のせいがおこって、それからあとはいくらたのんでもかしてくれませんでした。

今でも、そのかえさなかったお膳と、お椀が、村のある家にのこっているそうです。お膳は、黒ぬりでふつうのより大きく、お椀は、しゅのうるしぬりに紫のふじの花の絵が、えがかれているそうです。

 

お話 富士見町 細川隼人先生

竹村良信『諏訪のでんせつ』
(信濃教育会出版)より