山浦の大杭の北に淡路屋敷という所がある。戦国時代に屯田であり、淡路守が開墾したのでそういう。遺族は明治になって転居し、官地になった。その全盛の頃、大層酒好きであった淡路守が、酔って小諸から久保下を通って帰った。ところが、気がつくと腰に差していた愛刀がない。
どこで落としたものか見当もつかないので、そのまま幾月日か過ごした。この間、村人の間に、久保と小原の間の淵に大蛇が住み、眼玉が光る、下った淵でも光るので、尾ではないか、と噂がたった。話を聞いた淡路守が密かに行ってみると、それはまさしく自分が落とした愛刀らしい。
苦心して取り上げてみると、間違いなくその刀であったので、屋敷に持ち帰り、宝刀として大切にしたという。それで、そこには蛇淵(じゃぶち)・尾ノ脇(淵)などの名が残っている。しかし、その後家に不吉のことがたびたび起きたので、宝刀の崇りであろうと、下の城の両羽神社に奉納してしまった。