淡路屋敷の宝刀

長野県小諸市

山浦の大杭の北に淡路屋敷という所がある。戦国時代に屯田であり、淡路守が開墾したのでそういう。遺族は明治になって転居し、官地になった。その全盛の頃、大層酒好きであった淡路守が、酔って小諸から久保下を通って帰った。ところが、気がつくと腰に差していた愛刀がない。

どこで落としたものか見当もつかないので、そのまま幾月日か過ごした。この間、村人の間に、久保と小原の間の淵に大蛇が住み、眼玉が光る、下った淵でも光るので、尾ではないか、と噂がたった。話を聞いた淡路守が密かに行ってみると、それはまさしく自分が落とした愛刀らしい。

苦心して取り上げてみると、間違いなくその刀であったので、屋敷に持ち帰り、宝刀として大切にしたという。それで、そこには蛇淵(じゃぶち)・尾ノ脇(淵)などの名が残っている。しかし、その後家に不吉のことがたびたび起きたので、宝刀の崇りであろうと、下の城の両羽神社に奉納してしまった。

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』
(佐久教育会)より要約

南城公園の南辺りが小原から久保へ渡ったところだと思うが、今は橋もない。かつてはあったそうな。刀が納められた両羽神社は東御市下之城に鎮座される。昭和五十四年に古刀が発見され、市指定文化財となったとあるが、それだろうか。

ちなみに、淡路守は掛川氏といい、西浦のほうへ移り住んだが、社宮司を氏神としていて、古い家だといわれていたそうな(大杭でも社宮司を氏神として祀っているという)。