霧窪の伝説・一

原文

押出し(おったし:小諸市押出し地籍)の瓢箪池は、むかし、島川原にあったものが一夜のうちに、ここに移ったものだという。

この池については、次のような話がある。

むかし、この池の付近に母ひとり、娘がひとりの親子が貧しい暮しをしていた。ところがそのひとりの母がふとしたことから病気になったが、貧しいこの家では医者に診てもらうこともできないので、娘は毎日毎日深沢入まで薬草採りに行かなければならなかった。

娘が深沢入まで行くとどこの者とも知れない、美しいひとりの青年の姿をみた。

そういうことが何度もくり返されるうちに、二人はいつか恋いし合うようになっていた。娘はそのたびに男の素性を知ろうとするけれども、男はどうしても打ち明けない。その末に男は「もし自分の願いをきいてくれるなら。」といった。けれども、うぶな娘には、それはなかなか決心がいることでもあり、また家には病気の母が居ることもあるので、どうしてよいかとあれこれ考えても決心のつかない日がつづいた。

時日は過ぎて、約束の二十一日目の夜もいよいよ今夜という日になった。

思い悩んだ娘はついに母に打ちあけなければならなかった。母が言うことには「もし母が大切だと思ったら、もう一日だけ薬草採りに行ってくれ。」と言うのであった。

娘は行きつけの山に行って、いつものように薬草をとって帰ってきて見ると、あわれにも母は娘の幸福を祈りながら自殺していたのであった。

その夜、約束の時刻に母を失った悲しみを抱きながらも、恋をとげられる喜びにふるえて、娘は池の端に行って、男の要求通りに、裸体のままで一心に踊り続けた。すると不思議なことには、今まで波一つたてないで静まりかえっていた池の水が俄にざわめき出して、池の中心と思われるあたりから一すじの黒雲が巻き起って天に高く昇ったかと思うと、その中から半身蛇の体をした恋人がありありと現われたのであった。(土屋義吉34)

 

※複数話がまとめられている「霧窪の伝説」から一話を引いた。

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』
(佐久教育会)より