「みろや、こんやもまた、有賀峠へ、あかりがのぼっていくが、九時ずら。」
有賀のしょうが、ほういって時計をみりゃあ、ちょっきり九時だと。
あかりは、有賀の江音寺の森の上から、ボーッとでて、峠をめざして動きはじめ、曲がりくねった道をいくと。木のかげでめえなくなっちゃあ、また、スーッとでて、上へのぼっていくだって。
峠の手前の一本松のとこらで、かならずブスッといっぺん消えて、また、ボーッと明るくもえて、まっ赤な火の玉になっちゃあ、グーッと高く空へのぼり、峠をこして伊那の方へ消えちまうだと。毎晩、毎晩九時になりゃあ、ほんなことがおこったって。
ほれにゃあ、次のような、もげえ話があったと。
諏訪と伊那は、西山でへだてられている。諏訪の娘おときと伊那の若者が、どこで、どんなように知りあったかわからねえが、深く愛しあうようになったと。
おときの家は、峠のふもとの有賀か、小川のへんだっつら。若者の家は、きっとに峠をこした伊那の平出か、沢庭(さわぞこ)のあたりだったずらよ。
「この峠せえこしゃあ、あの人にあえる。」
おときは、村のしょうがねはじめた九時になりゃあ、そうっと家をでて、峠をのぼりはじめる江音寺のあたりで、たいまつに火をつけ、あの人にあえると、暗え峠のおっかねえことも、なんとも思わなんで、きゅうな坂道を、トットッとのぼってったって。
峠からのだらだら道を、いっきにつっ走って、若者のもとへいき、あれこれと楽しく話しちゃ、また、諏訪へひっけえしたって。
おときは、若者と毎晩、こうして楽しくすごしていたって。
ある夜、若者は、
「毎晩、ひとりっきりで、誰も通らね、暗え峠をくるが、おっかなかあねえけえ。ほれに三里もあるのに。」
おときに、きいたと。
「おめえさんとあえるだもの、暗えなんて、いっこう気にならねわえ。三里も、ひとっ飛びだ。」
おときは、目をキラキラとかがやかせてこてえたと。
「えっ、さびしい峠も、三里の山道もなんともねえ……。」
若者は、びっくりしたと。
(女がひとりで、毎晩峠をこしてくるっちゅうこたあ……。ふんとうに、諏訪から峠をのぼってくるらか。もしかしりゃ、おときは、人間じゃあねえかもしれねえ)
若者は、ひょっと、わからなくなって、ぞくぞくっとしたと。
若者は、次の夜、もしかしりゃと、顔をわからねえように、手拭で、ほおっかぶりして、峠の上の道で横にねころんでたと。
ちょっきり九時になると、ふもとの方で、ポツンとあかりがついて、アッといういまに、たいまつをかざした、おときがあらわれたって。
「誰ェねてるか知らねえが、いそいでいるもんで、ごめんなして。」
おときは、若者をポーンとひとまたぎして、たちまち伊那の方へ消えちまったと。
「ひゃあーっ、おっかねえはやさだ。ありゃあ人間わざかなァ。」
若者は、ただ、おどろいたり、へんだなあと、思ったりしたって。
若者は、ほの次の夜も、峠へいったと。ほの日は、朝からどしゃぶりの雨で、宮川の水があふれて、諏訪の中すじを、ひとなめにしちゃったと。
「こんな大雨にゃあ、こねえら。」
若者は、傘で顔をかくして、峠の一本松の下で、雨をよけていたと。ほうすると、九時きっぱり峠の下に、ボーッと、たいまつがつき、ほれがすぐ、若者の目の前へきたと。
「やっぱしおときだッ。」
若者は、ギクッとしたって。
「誰か、雨やどりしてるかしらねえが、いそいでるもんでごめんなして。」
おときは、ほういい残して、スッと伊那の方へ消えちまったと。
「こんねに、どしゃぶりだに……なんちゅうはやいら……人間かなあえ。」
気の弱え若者は、ゾッと、はだざむくなったと。
ほのことを、村の仲間に話えたって。
「ほりゃ、峠のキツネにちげえねえ。」
「毎晩女が、ひとりで峠をこして、これっこねえせェ。」
「おめえは、キツネにつかれただ。いまに、えれーことになるぞ。」
村の仲間は、口をそれえていったって。
若者は、いよいよ気味が悪くなってきたと。
「なーに、おらとうにまかせとけ、たいじしてやるわえ。」
仲間は、胸をたたいてみせたって。
村の仲間は、さっそくほの夜、峠へでかけたと。空にゃ、二つ、三つ星が、つめたくまたたいてたって。仲間は、手に手に太い、丸太棒を持って、一本松のやぶの中にかくれてたって。
「九時になるで、いまにくるら。」
「おっ、あかりがめえたぞ。」
村の仲間は、さけんで身がまえたと。
峠の下に、めえたあかりは、きれいに線をえがいて、近づいてきたって。
「オイ、止まれッ。」
村の仲間がどなって、おときの前に立ちふさがったと。おときは、びっくらして止まったって。たいまつの火が、パチパチと音をたててもえ、暗やみに、ほこだけが、くっきりと浮かびあがってたと。
きりっとむすんだかみ、丸いやさしそうな顔、まっ白なはだの色、体は小がらだが、目は、ランランともえている。このあたりじゃ、みられねえ、器量よしの娘だったって。
「きれえな娘じゃ。」
「うまく、ばけやがって。」
「やつが、だまされるのも、むりゃあねえわい。」
村の仲間は、口ぐちにいって、うっとりしてたと。
「おねげえさまだに、いそいでるもんで、道をあけておくんな。」
おときは、村の仲間を、おしわけて前へすすんだって。
「よくも、おらとうの友だちを、だましやがったな。」
「ひでえ、キツネだ。」
「ほれ、やっちゃえ。」
村の仲間は、いっせいに丸太棒でぶったたいたって、
「キャァーッ。」
おときは、するどい悲鳴をあげて、ほのばへドッと、たおれたって。
「この大ギツネめ、死んでも、ばけのかわはがさねえ。」
「しんのぶいキツネだ。」
村の仲間は、おときを、かわるがわる丸太棒でこづいて、ほのまま村へひきあげたと。
おときは、もげえことに、ころされちまっただ。けんども、両方の目は、パッチリと、ひれえて、峠をこして伊那の空を、じっとみつめてたっちゅう。
道にころがった、たいまつのあかりが、ジイジイと、いつまでも、もえ続けてたと。
ほれからあと、毎晩九時になりゃ、有賀の江音寺のへんからあかりがつき、峠へのぼって、伊那の方へ消えていくだって。(諏訪市豊田有賀)
お話 下諏訪町下の原 中村竜雄さん