野池明神

原文

野池の郷社諏訪明神様は、諏訪の本神様と親類であると村人は語り合っている。

この神社の附近に、周囲数町、俗称野池と呼ぶ大きな池がある。老松鬱蒼として伝説の秘められてあるを思わしめる。

昔、この池のほとりを歩いていた村人が、フト静寂を破る異様なうめき声に仰天して空を飛んで逃げ帰った。

この事を伝え聞いた村人は、明神池に大蛇が棲むとてその後誰一人として通行する者がなかった。

村人が恐れ戦くようになって数日後のある夜のこと、野池の長者丸野の主人が平和な夢路を辿りつつあった丑満時、白髪を腰迄垂らした崇厳な老人が現われ、「余は諏訪の神であったが、安心して棲息し得られる広大な池は無きか。諏訪より地下を潜ってここまで来たが、この池の水池は最も住み好い。今後余を祭りくれれば幸いなり」と言って姿を消した。

村人はこれを聞き伝えて驚き、翌朝丸野に集合の上、恐る恐る明神池に近づくと、恐るべし、山丘を我が物顔にとぐろを巻いた大蛇が紅蓮の焔を吐いて水面に映る影と戯れているではないか。

村人中の若者がよく注意すれば、大蛇は山を七巻半している。

村人に発見されるや件の大蛇はユルユルと水中に隠れ、忽ち水を起こして渦を巻き、凄惨の限りをつくした。

この日以来、村人はここに神社を建立してその名も「野池神社」と称するに至った。

大蛇は再び姿を現わさなかったが、多くの宝物を携えていたと伝えられる。

流れ入る川も無いこの池は旱魃甚だしい真夏でも水の絶えた日は無いという。この池にはこの様な物語があった。

『千代村誌』より