甲賀三郎と犬石

原文

むかし三穂村字立石の地頭に甲賀三郎と云う弓の名人があった。毎日山へ登って狩をするのに、三郎の矢面に立って生きて逃れるものとては一つもなかった。或る日二匹の犬を連れ、いつもの通り観音山へ分け上り、獲物を捜しまわって居ると、見事な大鹿が一頭とび出して来た。三郎はよい獲物と喜んで矢を番がえ、よく狙って切って放すと、その矢正しく大鹿の眉間の所へ当ったかと思う時、鹿の姿がふっと消えて其処に一寸八分のお観音様が立って居た。それと同時に二匹の犬はそのまま其処に石になってしまった。今犬石と称んで居るのが即ちそれである。

眼の当りにこの不思議を見た三郎は、これまでに犯した深い罪業を悔いて発心した。そして寺へ千頭山と云う名を奉って、その時限りに殺生を止めた。獣を千頭も殺したと云う申し訳のためかも知れぬ。

今立石寺の本尊仏の胎内に納まって居る観世音の御像は、三郎が此の時山から持ち帰って寺へ納めたものである。

甲賀三郎が獲物の鹿の皮を干すのに平常使われたと云う大岩が阿智川の岸にある。ちょっと其処ら近辺にない程の大きな岩で、それを俗に鹿岩と称んで居る。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より