千代村の庄屋徳兵衛が三十三観音詣りの帰り、米川で見慣れぬ女の子に会った。女の子は川原の石を一心に拝んでいたかと思うと川に入り、次々アメノウオを捕まえた。徳兵衛がどこから来たのかと尋ねても、「あっち」というだけで、子の無い徳兵衛は連れ帰り家の子になってもらうことにした。
女の子はお香代といい、女房のお菊も喜び世話を焼いたが、お香代はなぜか布団には入らず、囲炉裏端でごろんと横になって寝たという。そして、よく働くお香代だったが、合間には子どもたちと川でアメノウオを良く捕った。それはみごとな腕前で、魚捕りの神様だ、と言われた。
ところがその翌年の六月、大雨が続き米川が荒れ、庄屋の裏山が崩れそうになった。するとお香代が真剣な顔で、「八大龍王」と書いた紅白の旗を作り、自分に白い着物を着せてくれ、という。徳兵衛はその真剣さに、お香代の言うままにした。
お香代はそれらを身につけると、米川に向って、「なむ八大龍王、この雨、止めさせたまえ……」と叫び続けた。そして、それが繰り返されるうちに、雨が小降りとなり、米川の大水もおさまったのだった。しかし、皆で探しても、お香代の姿はもう見えなかったそうな。
七月のある夜、米川のほうから蛍の大群がやってきた。その中にお香代の姿があり、今は禿淵の水神様の使いになっている、という。そして、日照りで困った時には禿淵に赤い帯、赤い旗、赤い鼻緒の下駄をそなえてくれれば、必ず雨を呼びましょう、と言い残し、お香代は蛍の大群とともに消えたという。
米川に禿淵は今もあるようで、禿水神が祀られているという。そのように「かむろ水神」なのだが、これが「おかよ水神」と転じるものなのか、名の由来はまた別なのかは不明。比較的古い資料の『千代村誌』でも女の子の名はお香代だ。
かなり直截な人柱の話のようだが、ここでは、最後にお香代が蛍の大群とともに現われている点に注目して引いた。竜蛇と蛍が連絡する事例としてだが、数少ないながらそういう話がある。武州見沼には竜神に蛍と変えてもらった落城の姫たちの話があった(「蛍の御殿」)。
また、同じく武州児玉のほうには、弁天さんの御神体が蛍と化したという話もある(「ふしぎな弁天様」)。禿淵のお香代は、もし本当にそういう話の筋で語られてきたなら、それらに続く事例になるといえる。
ただし、『千代村誌』の筋などにはそういうモチーフは見られない。お香代は気高い美しさをもった娘乞食であった、とあり、お大尽夫婦に可愛がられ育ったというのはそうだが、ある日、その乞食である出自を人から聞かされ、悲しみのあまり去る(入水し禿淵の主となる)、という筋で語られる。
さらに、岩崎清美『伊那の伝説』にも「かむろ水神」の稿はあるが、「これは昔禿を祀ったものだ」とあり、赤い帯を雨乞いに奉納するというくらいで、お香代の話というのはない(禿淵には続いて椀貸淵があるそうな)。