黒石明神

原文

上久堅村の知久から千代村へ越す一本道の中程に、黒石と称ばれる大岩があって、その岩の割れ目の中には常に蛇が住んで居ると云われて居る。これはもと沼の底にあった岩であった。

此の附近を今では横根田圃と称んで居るが、其処は昔大きな沼で、その中にはヌシが住まって居た。ある日、村の娘が沼にある船の中で遊んで居ると、その船が何時の間にか自然に動き出し、沼の中程と思う所まで来ると船は急に娘もろ共に沼の底へ沈んでしまった。それを見て居た人たちは、沼のヌシの仕業にちがいないと云って恐ろしがり、沼の近くへ行く者さえもなくなった。

しばらくすると其の娘が村の百姓の夢枕に立った

『どうか此の沼の堰を切って水を干して下さい』とたのむ。

それが毎晩のように続いたので其の百姓も不思議に思い、村の人たちに相談をして沼の堰を切った。やがて水の乾いた沼の底から大きな岩が一つ現われて来た、それが此の黒石であった、そして其の岩の下に小蛇が何百となく居たのを見て百姓たちはびっくりした。

此れはもうずっと昔の話であったが、今でも此の岩の中程にある割れ目の中には小蛇が常に住んで居ると云われ、村の人たちは此の黒石に娘の霊を祀って黒石明神と崇めて居る。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より