深見の池と貝鞍が池

原文

むかし川路村に、貝鞍が池と称ぶ大きな池があって、ヌシの大蛇が住むと云われて居た。こんな所を池にして置くのは勿体ない。埋め立てて新田にすればお米が沢山に穫れる、と云うような話が百姓たちの茶話の話題に上るようになった。話が次第に熟してやがて村の総寄り合いが催され、愈々かいくらが池埋め立ての相談が決定した。貝鞍が池が埋められるそうな、と云う話は忽ち村中へひろがって、人たちは今更のように久しく見馴れた池を眺めるようになった。ヌシが居るそうだが、と村の年寄りたちは心配そうな顔をしてひそひそと語り合って居た。平常は静かな池の水が、此の幾日かはどうも穏かでないと云う者があった、池の中に時々横波が立って岸にひたひたと打ち寄せるのはヌシの故ではないかと恐れる者もあった。いよいよ埋め立て着手の日が決まり、その日になると朝早くから百姓たちはめいめいに穫物を持って池の畔へ寄り集まって来た。

丁度その頃と思われる時分、見馴れぬ美くしい娘が一人、天龍川の川伝いに道を急いで下って行くのがあった。川路村から大下條へ、道はかなりに遠いが娘の足は早かった。深見の里には麦が青々と肥えて今日も長閑であった。娘は道端の百姓家の軒に立って音づれる

『遠い旅の者で御座います、不憫と思うてどうぞ使って下され』とたのむ

『見るとうりの百姓家故、此れと云う用事もないが、まあまあ当分此処で遊んで行かっしゃれ、遠慮はいらぬ』

田舎のお神(ママ)さんは親切であった。娘はそのまま其の家の人になって丁度三日目の朝、井戸へ水汲みに行ったまま昼になっても帰らぬ。仮の姿を娘に借りたヌシの大蛇が水を慕って再びもとの姿に復った事は、井戸端に脱ぎ捨てた赤い花緒の下駄より他には誰も知る人がなかった。組合衆が寄り集まって井戸さらえをして見たが、娘はおろか、髪の毛一と筋も沈んで居なかった。

それから間もなくであった。ある日、晴れた空が俄かに曇って黒雲が空一面に拡がると見ると、その雲の間を縫うようにして幾条もの稲妻が閃く、やがて大雷雨が車軸を流して深見一面を真黒に包み、天地晦瞑の裡に百姓たちはひれ伏して震えおののいて居た。間もなく雷鳴が止み、雲が薄らいだのでほっとして眺めると、今迄青々として茂って居た麦田が見渡す限りの池に変じ、大きな波が岸を打って逆巻いて居る。この意外な大異変に喫驚した百姓たちは神威を恐れ畏こみ、早速お祭りをして水の霊を慰める事にした。やがて雨が全く歇み空が晴れわたったので百姓たちは漸やく安堵の胸を撫で下ろした。

村では直ちに池の畔に諏訪明神を祀り盛大なお祭りを行った。それから後は毎年筏を組んで池に浮べ、囃子を催して池のヌシを慰める事になった。

又この池へ毎年一度づつ赤飯を盛ったひつを入れてやる、すると何時の間にか空になって浮いて来るそうである。池の底は遠く龍宮に通じて居るとも云う、そして此処にも他所にあるような椀貸穴の話が伝って居る。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より