しっぽのない赤いヘビ

長野県岡谷市

昔西堀にオフクばあさんという欲深な人がいた。ある春、ばあさんの家にツバメが巣を作りだしたので、ばあさんは許しを得ないで家に巣をかけるとはと怒って、竹竿でつついて巣を壊してしまった。ツバメたちは悲しい声を残して諏訪湖のほうへ去った。

幾日かして、ツバメがやってきて、家の中に夕顔の種を落としていった。ばあさんはこれはもうけた、と種を庭にまいた。やがて夕顔は芽を出しぐんぐん育ち、長い見事な夕顔が何本もたれた。ところが大喜びのばあさんがかんぴょうにしようと夕顔を切ると、そこからは真っ赤な蛇が這い出したのだった。

どの夕顔を切っても蛇が這い出すので、ばあさんはあきれてゴザにくるんでみな藪に捨ててしまった。しかし、しばらくすると藪の中で蛇たちは大きくなった。みな尻尾がない赤い蛇だったが、それはばあさんが夕顔を切る時に尻尾が切られてしまったからだった。

こうして大変なことになった。赤い蛇たちは育って増え、何千、いや何万匹の大群となって、一里づかの道を埋め、大行列を作るとオフクばあさんの家めがけて地響きをたて突き進んだのだった。ばあさんの家はあっというまにひと押しにされてしまい、蛇の行列は塩尻峠をくねってどこかへ消えたという。

竹村良信『諏訪のでんせつ』
(信濃教育会出版部)より要約

諏訪湖に流れ入る横河川の西に西堀があって、東(やや東北に離れるが)に中山道の一里塚などがある。その周辺が舞台で、蛇たちは中山道を通って塩尻峠を越えて消えたのだろう。

夕顔というのは朝顔夕顔のそれではなく、ヒョウタンの夕顔のこと。これは、瓢箪から蛇が出た、という話でもある。祇園の初瓜の時季とおなじと見てよいだろう。

面白いのは、それが土砂災害を言っているらしい、と見られているところだ。この話は国交省の「災害教訓伝承事例カルテ」などにもあり、横河川の土砂災害との関係が考えられている。