湖底に沈むつり鐘

原文

(前半略:「音坊鯰」に同じ)

そのあと、ちょっとのあいだは、なにごともおきなかったのですが、また、大なまずのやつ、人間を見ればかたっぱしからおそいかかり、つぎつぎと、くいころすのでした。まったく手がつけられず、どうしようもありません。みんなは、

「こまったことだ。こまったことだ。」

と、ただそういっているばかりでした。

すると、ふしぎなことがおこりました。

花岡のすぐおとなりに、小坂観音がありました。ここのつり鐘の音は、とっても、美しいということで知られていました。

「ゴゴーン。ゴゴーン。」

すんだ美しい音は、諏訪じゅう、いや、山をこえた村むらにまでひびきわたりました。

道をいく人は足をとめ、仕事をしている人は、手を休め、泣いている赤ちゃんも泣くのをやめ、みんなその美しく、しかも、おごそかな音に、すっかりききほれていました。ある夜のことでした。鐘つきどうにしっかりとつけられている小坂観音のつり鐘が、どうしたことか、すうっとひとりでにはずれました。あっというまに、観音堂のがけを、ゴロゴロ、ゴトンゴトンと、ころがりおちて、バッシャンと、それこそ諏訪湖がまっぷたつにわれたかと思われるほどの大きな音がして、底にしずみました。

「えれえことになった。観音様の鐘が諏訪湖へおちたぞー。」

小坂の人びとは、はちのすをつついたように、上を下への大さわぎです。

あくる朝、村人は舟をこぎだしました。鐘は湖の底に、ちゃんとすわったようにしずんでいるのです。村人は二十ひろものなわを湖の中へいれ、鐘をぎりぎりにまいてみんなでヨイショ、コラサと、なわをたぐりました。

おもいおもい鐘ですが、だんだんにあがり、水の上に顔がでて、もうひといきで舟の上にあがるというとき、するっとすべりおち、ズブンとしずんでしまいました。

それからあと、何回やっても、まったく同じようになってしずみ、、どうしてもひきあげることができないので、あきらめてそのままにしておくことにしました。

そうこうしているうちに、ふしぎなことがおこりました。あれほど、あらびにあらびまわった大なまずが、ピタリとあらびなくなったのです。どうしたのでしょう。

そのうちに、湖の中にしずんだ小坂観音のつり鐘が、大なまずの上におおいかぶさって、動けないようにしているのを見たという人があらわれました。

「ありがてえ、ありがてえ、ほんとうに観音様のおかげだ。」

と、村人は、観音様の力の強いことをありがたがりました。

また、観音様に、つり鐘のないのは、いかにもさみしいと、そうだんし、湖にしずんだつり鐘と、そっくり同じつり鐘をつくっておさめました。

それからあと、村はのんびりと平和になりました。

ところがそののち、ときどきこんなことがおこりました。ま夜中の湖の中から、

「ゴゴ ゴンゴー、ゴゴ ゴンゴー。」

と、ひっきりなしに鐘をならす音がするのです。この鐘がひびくと、それからあと、きっと国に大きなかわったことがおきたそうです。

ちかくは日清戦争(いまからおよそ七十五年前、日本といまの中国とのたたかい)のとき、また、日露戦争(いまからおよそ六十五年前、日本といまのソ連とのたたかい)のときも、そのおこる前に、さかんになりひびいたそうです。このときは、むこう岸の上諏訪までもガンガンときこえたそうです。いったいだれがつきならすのでしょうか。きっと、あの大なまずではないかという人もいます。

よくはれた日は、諏訪湖の水がすきとおって底まで見えます。小坂のだれだれさんだったか名前をわすれちゃったが、沈んでいるつり鐘をなんども見たっていっていました。 お話 岡谷市湊花岡 浜銀重さん

竹村良信『諏訪のでんせつ』
(信濃教育会出版部)より