音坊鯰

原文

むかし、湊村の花岡城址は諏訪湖の水が流れて天竜川となる口元に当たっていて、城址の西方には御堂小屋というところがあった。またさらにその西方の鯰坂から海外田(かいそだ)に出たところに、水神淵という諏訪湖のうちでもいちばん水底の深いといわれているところがあった。

なんでもこの淵にはむかし六尺(約一・八メートル)以上もあろうかと思われる大鯰が棲んでいて、人を見ればむやみに飛びかかって食い殺してしまうというので、この地方の人たちからたいへん恐れられていた。

ところがこのことを聞かれた諏訪の土神龍雹が、家臣の音坊にこれを捕殺するように命じた。音坊は一も二もなく引き受けて、その深淵に飛び込んで大鯰を捕らえた。音坊が大鯰の鰓に綱を通して肩にかつぎ、龍雹のもとに持っていこうと、その坂にさしかかったとき、大鯰は「音坊さようなら」とばかり、大きく跳ね返って、水神淵深く沈んでいってしまった。

それ以来、その坂のことを「鯰坂」と呼ぶようになり、またそのことがあってから、どうしようもないことの例えとして「音坊鯰の食いかじり、煮ても焼いても食われない」と、世間の人たちが言うようになったそうな。

 

※別の話では、鯰は逃げたが綱に牙を残していったために、それ以来、人を襲うことができなくなったと語られている。

宮下和男『信州の民話伝説集成【南信編】』
(一草舎出版)より