地蔵峠の大蛇

原文

昔大変勇気のある人があった。或る時長野へ芝居をやりに行こうと思ってカバンの中にカツラ三十を入れて出かけた。地蔵峠の辺について向うを見ると、草原に若い衆が一列になって草を刈っていた。段々近よって若い衆のそばを通り抜けようとすると、若者の一人が立って、此の道を行くと大蛇がいて、呑まれてしまうから、下の道を通れと教えてくれたが、強情の人だったので、無理に通って行った。太陽も西へ沈んであたりが薄暗くなったので、まあここらで一夜泊ろうと思って、草の上に横になると昼の疲れでぐうぐう眠ってしまった。すると暫くして誰か呼ぶ者があった。眼を開いて見ると、大きな人が立っていたから「お前は何の用があって来た」というと「お前と化けることを比べようと思って来たのだ。おれが一番にやるから見ていろ」と言うから、見ていると、武士に変った。そこでその人も、「おれも一番やるから見ていろ」と言うので、カバンの中から三十のカツラを出して順々にかぶって見せた。そうするとその大男は驚いて逃げて行ってしまった。まあよかったと思って、夜明けを待っていた。夜明けて見ると天は一点の雲もないよい天気であった。又今夜も来るだらずと思って日暮れを待っていた。はたして昨夜の大男が来たから、待ってましたとばかり、集めておいた、ヤニを大男の口の中にゴテゴテ入れてくれると苦しがって逃げて行ってしまった。そして翌朝起きて見ると四五丈もある大蛇が死んでいた。

箱山貴太郎『上田市付近の伝承』
(上田小県資料刊行会)より