稚児が淵

長野県上田市

霊泉寺が開かれたころ、大勢のお稚児さんがいたが、ある晩ひとりのお稚児さんが、庭で美しい娘と出会い、忘れられなくなってしまった。そのお稚児さんは、規則を破ってこっそり娘と会うようになっていたが、幾月か後の晩、二人で話しているところを見つかってしまった。

そしてお稚児さんは和尚さんに本堂に閉じ込められたが、見張りの寝込んだすきを見て逃げ出してしまった。お稚児さんは娘に手招きをされるまま淵まで来ると、淵の底でその娘は微笑んでいるのだった。

お稚児さんはためらわずに飛び込み、翌朝、淵の中に浮いているのが見つかったという。村人は淵の龍(蛇とも)が娘に化身して、お稚児さんを虜にしたのだと噂し、それから淵を稚児が淵と呼ぶようになったという。

丸子民話の会『丸子の民話をたずねて』より要約

霊泉寺は、戸隠の鬼女伝説の紅葉を討った平維茂がその傷を癒したという霊泉寺温泉の名の由来の寺であり、維茂が開基という。開山は空也上人というので、このお稚児さんを閉じ込めたのも空也かもしれない。淵は巨大な甌穴が二つ並んだもので、なかなかの見ものでもある。

しかし、そのあたりはさておき、ここではこの淵の名が相州江の島の稚児ヶ淵に由来する、という話を加えておきたい。霊泉寺が鎌倉建長寺の末であったとき、あの仏国国師が江の島の稚児ヶ淵にちなんで名づけたのだという(現地の案内板)。

ここで興味深いのは、江の島の稚児ヶ淵は竜蛇の話では特にない、というところだ。というよりも、各地の稚児ヶ淵の伝説はあまり竜蛇伝説とはならない……のだが、果たして本当にそうか、と考えるときにこの霊泉寺の伝説は重要となるかもしれない。

よく知られるように、建長寺の僧・自休は、江の島弁天参詣の折に、老人と連れ立った稚児白菊と出会った。そこには「もたらされそこなった」竜宮童子のイメージがあるように前から思っている。