岳の幟

原文

昔、幾年も幾年も旱が続いて山から流れてくる川の水も絶えてしまったし、地から掘って汲みだす井戸の水も乾いてしまいました。作物ができないばかりか、人間が死んでしまいそうになりました。そこで、村の人々が寄ってたかって相談をし男神岳と女神岳との両山へ御祈誓をして、

「もしも大雨を降らしめ給うて、民の患いをお救いくださらば、有らん限りの供物を奉ります。」

と申し上げました。

そして、長い布を張って竜神の姿をあらわして、布を立て並べて行くと、男神岳の山の上の方に九頭竜のような形の霊体があらわれて、だんだん女神岳の上の方へ進んで、山を覆うてしまいました。

すると間もなく、大雨がざんざん、ざんざんと降ってきて、人民を救ってくださいました。このときから、お祭りごとに今もって幟をたくさん献ずるのです。

村人は男神岳に祈誓して雨が降って百姓がよみがえったので、奉斎(つつしんでお祭り申すこと)にこの神を祭るお宮を造ることになりました。

ところが、お宮を別所村の方に向けて建てようか、それとも夫神村の方に向けて立てようかとの議論がおこって容易にきまりそうにもない。

そこで「牛と馬とに男神岳の頂に駆け登らせ、勝った村の方へお宮を向けよう。」と相談がまとまりました。さてどちらが牛になるか、どちらが馬になるかが、またまた問題となったから、「それでは籤引きで決めよう。」とのことになりました。

籤を引くと別所村は牛、夫神村は馬となりました。いよいよ用意して両村の男神岳の麓から駆け登らせました。ところが牛が山頂に着いたのに馬はまだ山腹にいました。

それでお宮を別所村の方面に向けたのです。だから毎年六月十五日の祭日に別所村では山の頂で神事をするのに、夫神村では山腹で神事をするのです。

 

※「岳の幟(たけののぼり)」は民俗行事として有名です。毎年七月半ばの日曜日に現在も盛大に行われています。青木村では「男神岳」を「夫神岳」と呼び岳の幟と同じような行事は「夫神のしなのぼり」というふうに伝えられています。夫神では昔は行事が行われていましたが、現在は行事は行われていません。この伝説のもつ意味は、青木村の夫神の方がそれほど水には困らなかったが、塩田平の別所村の方が水に困ったことを表しているとも考えられます。岳の幟に供えた反物で着物をこしらえて着れば「かぜをひかない。」といわれています。

『郷土の民俗 民話』(上田市立博物館)より