池の端の弁天さま

原文

昔、室町幕府の奉行に、依田左衛門という人がいました。この人にはそれは美しい一人娘がおり名を百合姫と言いました。

左衛門は奉行の仕事を退くと、娘と一緒に故郷の依田の里に帰ってきました。しばらく二人は楽しい日々を過ごしましたが、左衛門は病気で亡くなってしまいました。一人ぼっちになった姫は、弁天さまをまつった日向池の端にたたずみ、もの思いにふけるようになりました。それを心配そうに見守る若者がいました。名を弥吉と言いました。冬も近づき、池の水も冷たくなった夕暮れのこと、姫は世をはかなんで池に身を投げました。これを見ていた弥吉は、「あっ」と叫び、かけつけますと、すでに姫は土手の上に助け上げられていました。見れば、そばの弁天さまの体がびっしょりぬれていました。弥吉は弁天さまにお礼を言い、姫を連れて家に帰り一生懸命看病しました。やがて元気になった姫と弥吉は結ばれました。(依田 御嶽堂)

 

【解説】正しくは弁財天という天部です。

代掻きの鼻取りの人手がなく困っている農民を助ける鼻取り地蔵の話はたくさんありますが、身投げした人を助ける話は少ないと言えます。

丸子民話の会『丸子の民話をたずねて』より