さつき姫

原文

六百年の昔、吉野の朝廷が絶えた時、南朝の武将であった父を戦で失ったさつき姫は、家臣六人に守られて、南朝再興の募兵のため東に逃れ、駿河から富士川づたいに甲州・万沢村に入った。

万沢村横沢の、豊かな清水の湧きあふれる池のある家で休息した。この時姫は、手にしていたサツキの枝を、池のほとりにさした。この泉の水源を求めて山に入り、池ノ山の山頂で、大きな池のほとりにたどりつき、池岸の十恩寺という寺に宿を借りた。

その夜姫は、前途に望みのないことを悟り、家臣の行く末を案じ、密かに池に身を投じた。

姫の姿が消えているのに気づいた家臣たちが、池の回りの林の中を捜し回っていると、池はにわかに波立ち、その中央に姫が立ち現れ「甲斐のない旅はやめて、仲良くこの地に永住せよ」と言って水中に姿を消した。この時、風をまじえた豪雨が山を襲ってきた。たちまち池の水は、山下へ奔流となって流れ出した。その流れに乗って池の中から現れた大蛇が、うろこをきらめかせながら泳ぎ下っていった。家臣たちは、それが姫の化身だと悟った。

翌年の春、このあたりから、徳間川、福士川、富士川沿いに、美しいサツキが咲くようになった。大蛇となって駿河の海へ下った姫が、形見に残したものだと、川岸の里人は言い伝えた。

家臣六人は、池を下った福士川のあたりに居を構えた。この六軒は、小久保六軒と呼ばれ、六戸の家数のまま今日まで続いている。

万沢村横沢の清水は今も、里人に守られている。姫が身を投げた池は、今は枯れて美林となっており、池の中央と思われるあたりに細い湧水があり、そばに里人がまつった祠がある。

加藤為夫『富士川谷物語』
(山梨日日新聞社)より