富士見山麓・曙地区の梨子集落から、更に南へ三百メートル程上った旧早川往還筋に、「おなつがれ」という地名がある。
諸地方の夏枯の地名の転訛であるが、古老によると「おなつ」は、女性の名前であるという。
言い伝えは、次のようなものである。
このあたりに若い炭焼きがいた。かせぎものの上に男っぷりもよいので、中山中はもとより近隣の娘たちにも知れわたっていた。
中でも葛籠沢(六郷町=現市川三郷町)の娘・お夏は、この若者にぞっこん惚れこんで遠い夜道をせっせと通った。月の晩は月をたよりに、闇の晩はかすかに見える炭焼きの火を目ざして……。
若い炭焼きの男も、娘の来るのを待ちわびて、楽しい逢瀬を重ねていた。ところが、なりふりかまわず夜ごと夜ごとに訪れる娘の情の深さに、若者は次第に恐れをなし、やがてそれがもしやもののけにとりつかれているのではないかと疑うようになった。そしてその疑いは、日ましに濃くなっていった。
とうとう若者はある日、娘の通う崖淵の土橋の橋げたを切断し、上を通ると橋がくずれ落ちてしまうようにしておいたのである。
それとは知らずに、今夜もまた炭焼きの火をたよりに、この橋の上にさしかかったお夏は、哀れ、深い谷にまっさかさまに落ちていった。こうしてこのあたりを、「おなつがれ」と呼ぶようになったという。