梨子から南へ三百メートルほど上った旧早川往還筋に、「おなつがれ」というちめいがある。古老の言い伝えでは、「おなつ」は女の名だという。昔、このあたりに若い炭焼きがいて、男ぶりがよく近隣の娘たちの話題だった。中でも葛籠沢の娘・お夏はぞっこんで、毎夜毎夜夜道を通ってきていた。
炭焼きの若者もお夏が来るのを待ちわびて、逢瀬を重ねていたが、なりふり構わず夜毎に訪れる娘の情の深さに恐れをなし、やがてもののけにとりつかれているのではないかと疑うようになった。
そしてついに、若者は娘の通う崖淵の橋の橋げたを切断し、上を通ると橋が崩れるようにした。その夜もまた炭焼きの火を頼りに橋に差し掛かったお夏は、哀れ深い谷に落ちてしまった。それからあたりを「おなつがれ」と呼ぶようになったという。