昔、等々力の仙光寺あたりは木が生繁り竹藪に覆われた土地で人家もなかったが、土地が肥えているので開墾され人々が増え始めた。ところが、できてきた里の子供たちが次々と命を奪われるという事件が起こった。
子を取るのは池の怪物で、顔は美しいお姫様のようなのだけれど、胴体は白い蛇であり、子供がお姫様の顔に見とれて近寄ったところ、命を奪われてしまうのだという。これを恐れ土地を移る人も増えてきたころ、一人の旅僧が通りかかった。
旅僧は話を聞くと訳があると見、庵を造ると一心不乱に行を行った。二十一日の末、ついに白蛇が現れ、神仏の仲間入りをしたいのだ、と訴えた。僧はその願いをかなえ、白蛇は黒雲に乗って天の彼方へと立ち去った。
大役を果たした僧はまた旅立とうとしたが、里の人たちの懇願に負け、庵に住むことにした。これが、仙光寺の始まりといわれ、今でも蛇の住んでいた池の形を残しているという。池は、どんな日照りにも水が涸れることがなかったそうな。
等々力に仙光寺は今もある。一帯はなぜか寺が密集しているが、すぐ近くの慶専寺というお寺の開山伝説と思われる話では、池の蛇を父とする子が開山の僧となった、という筋になっている(「蛇池と慶専寺(甲州市)」)。
仙光寺の話も原題は「蛇池」なのだが、その慶専寺の話も原題が「蛇池」なので、分けるために双方題を変えた。これら蛇池が同じ池なのかどうか、今は池も見えないのでわからないが、等々力地内の小地名に蛇池があり、同じではないかと思う。
どちらかというと、その蛇を父母とする子が開山の僧となる、という筋の話が主で、これが竹森のほうまで同様の話が見える。ここでは、そのすぐ脇に、こういった昇天する蛇の姫の話がある、という点が興味深い、という点を覚えておきたい。
天人女房などを連想しながら考えれば、子に焦点を当てるか、昇天する母に焦点を当てるかで、この二つの話はつながってくると思われる。特に、塩山西野原の蛇が母となるほうの話(「蛇池の由来」)などと併せみると、その筋も考えられるだろう。